忠孝は誠の第一
─忠孝なくては道は立たず (御教語)

「忠孝」は「忠義」と「孝行」で、一般的な意味としては「主君に対して忠義を尽くすことと、親に対して孝行をつとめること」です。

さらに「忠」の字の意味を深く探ると「偽りのない誠意。すみずみまで欠けのない真心」で、古訓(古い読み 方)では「うやまう」とか「まこと」と読みます。一方、「孝」は「子が親を心から大切にすること。祖先を大切にすること」で、古訓では「うやまう」また「かしこまる」などと読みます。

「主君」とか「忠義」、「孝行」といった言葉を使いますと、時代錯誤のように思われがちですが、私たち黒住教のお道づれにとっての主君は、それぞれの親・先祖、そして天地宇宙の親神である天照大御神様、またご一体の教祖宗忠の神様です。ですから、封建時代のお殿様と領民といった間柄ではなく、〝親子〟の関係といえます。赤木忠春高弟の詠まれた「親の親その親々をたずぬれば天照します日の大御神」のお歌の通りです。こうした人間としての縦軸が希薄になり、日本の国の精神的支柱が弱体化してきている今日の世の中です。

「忠孝」一筋に生きられた教祖神が「天命直授」とお称えする宗教的神秘体験を得られ、本教は立教なりました。ですから、本教は天命直授によって開かれた宗教であり、教祖神は〝神人一体〟の境地に至られたのです。教祖神は、この天命直授を通して、大御神様を万物の親神と感得し、「人は、天照大御神のご分心(みわけみたま)をいただく神の子」であり、このご分心を汚すことがなければ、神の心と一つになれるとお示し下さったのです。

そこで、大御神様のご分心をいただく私たちは、大御神様に対する「忠孝=誠」が第一となります。そして、その忠孝の心が無くては、道(大御神様の大道)が立たないとまで忠言下さっています。

大御神様のご神徳の中に生かされて生きるお互い、ご分心をしっかりと養い、そのおはたらきを存分にいただくとき、「人となるの道即ち神となるの道」を歩むことができるのです。