我も天地の子なり、
わが産みの子も
天地の子なり。(御文四七号)

 今月の御教えは、「好男子の御文」と称されている御文四七号に認められている御言葉で、御教語集「生きる教え」(日新社刊)にも記されています。「私も天地(天照大御神様)の子供です。私の子供も、大御神様のご神慮によって生まれてきた天地の子供です」という意で、教祖神の御教えの中核をなす「人は、天照大御神のご分心(みわけみたま)をいただく神の子」であることを仰しゃっています。

 御文四七号は、文政九年(一八二六)に石尾乾介高弟に宛てられたもので、「千日の御参籠」(文政八年から文政十一年)をおつとめになっているさ中の御手紙です。教祖神は、「天命直授(文化十一年〈一八一四〉十一月十一日〈旧暦〉冬至)に匹敵するような大感激・大歓喜のご神命を賜りたい」というご念願のもとに「千日の御参籠」をおつとめになり、今村宮参籠殿に籠もって夜々お祓いを上げて、一心を澄ます修行に傾注されました。まさに、本の心たる〝ご分心〟を澄ます修行に励まれたのです。

 御文四七号ではこの御言葉の後に「何事も天命と存じ奉り候。天の道を行い、その上のことは、少しも少しも苦になることござなく候。皆わが物と思い、迷いに入ることおそろしきことなり。天の子なり、少しも心も心に恥ずること無きときは、これすなわち神なり。形は皆にごりなり」とあります。

 「何事も天命と存じます。天の道を行い、その上の事は少しも少しも苦になる事はございません。皆我が物と思い迷いに入ることは恐ろしいことです。天の子です。少しも心が心(本心)に恥じることがなければこれがすぐに神です。形は皆濁りです」という意です。

 本教の修行に難行苦行はなく、大御神様のご分心をいただく神の子として恥じないように、日常の生活をよりよく生きるための〝五つ(祈り・孝養・奉仕・感謝・反 省)の誠〟の実践を何よりの修行としています。教祖神の歩まれた「人となるの道即ち神となるの道」を追随す るべく、「活かし合って取り次ごう! 暮らしの基本に〝敬神崇祖〟」との本年の修行目標をしっかりとつとめてまいりましょう。