神ごころは親ごころ(御教語)
五代宗和教主様のご母堂のきよ様は腎臓病を患っておられましたので、五代様のご出産に際しては大変なご苦労がありました。「このままでは、親子共々に命の保証はできない。おなかの子は諦めるように」と言うお医者さんに懇願されて、ご誕生になったのが五代様でした。しかも、七カ月の未熟児で誕生され、まさにきよ様の命懸けの〝祈りのご出産〟であられました。
こうしたご体験が元となり、五代様はいつもご自身の誕生日は「母への感謝の日」と仰しゃっていたそうで、今日では大元家(黒住家)の習わしとなっておられます。
個化の進む今日、家族それぞれの誕生日を家族全員でお祝いすることは実にほのぼのとした光景でめでたい限りですが、その誕生に至るまでの母親の苦労は並々ならぬものがありますので、一歩進んで、その恩を疎かにしないようにすることが大切です。五代様は「わが誕生日には『お母さん、私を産んでくれて有り難うございました』と御礼を申し上げることを忘れてはならない。不幸にして母君を亡くされている方は、御霊前に感謝の祈りを捧げるように」と、御親教等で仰しゃっていました。
幕末の長州藩士で「松下村塾」で知られる吉田松陰は、自らの死を前にして、「親思ふこころにまさる親ごころけふの音づれ何ときくらん」と詠じています。わが子のためにはどんな苦労もいとわず、わが命さえも捨てることのできる心を、本来親(殊に母親)は持っていて、親のことを思う子供の心よりも、子供のことを思う親心・母心は深く強いことを示しています。またそこに、真の親子の信頼が生まれるのです。
教祖神の御教えの中核をなすのは「人は、天照大御神のご分心(みわけみたま)をいただく神の子」ですが、その大きな側面は、その親心・母心です。河上忠晶高弟のお歌に「太神の美太満を問わば人の親の我が子あわれと思う心ぞ」とありますが、「神ごころは親ごころ」との御教えをそのまま単刀直入にお説きになっています。
そして、私たちは親・先祖、さらに大御神様ご一体の教祖神に、幼い子供が親の懐に飛び込んで行くようにお任せすることが大事です。