生まれ子の次第次第に知恵づきて
天照神に遠ざかり行く(道歌)
入学・進学の季節を迎えました。一時期、「ゆとり教育」の推進が図られましたが、その一方で“受験熱”は加熱し、今では“知育中心”の傾向はますます強まっています。青少年・少女に限らず大人に至るまで、現代人の心の荒廃は深刻な状況ですが、様々(さまざま)な凶悪事件や社会問題の根本的原因はそこにあると思われます。
戦後教育において“政教分離”を図る上で、「○○教・○○宗」というのではなく、日本人が本来大切にしてきた信仰というアイデンティティー(存在証明)まで無くしてしまったように思います。
以前に教育の場で重んじられていた「知育」と「体育」そして「徳育」のバランスを取り戻すことが大事で、親子共々に“家庭教育”のあり方を見直さなければなりません。その答えは、目新しいものではなく、時代の流れとともに切り捨てられたり、忘れ去られてきたものの中に眠っていると思います。
教主様がお示し下さった修行目標「活(い)かし合って取り次ごう! 暮らしの基本に“敬神崇祖”」が、本教だけのことにとどまらず、世の中全体で取り戻さなければならないところです。神道、仏教などを問わず、“敬神崇祖(神を敬い、先祖を崇(あが)める)”こそ、日本人が忘れてはならない精神なのです。
かつてある人類学者が「どの民族にも共通する時間感覚は、先祖・自分・子孫という連綿と続く時の中に自分は生きているという実感で、個人の人生のみに執着すればするほど、人は精神的に不安定になりやすい」と仰(おっ)しゃっていましたが、自己の存在をもたらした“見えない存在”に感謝する大切を指摘されたものでした。
「姿なき心一つを養うはかしこき人の修行なるらん」の御(み)歌をセットでいただき、知識だけで頭でっかちにならないように注意し、真に賢い人生を共々に歩んでまいりましょう。
この道歌は、「生まれ子の」の一句が「生まれ子が」であったり、「みどり児が」となって、赤木忠春高弟が詠じられたものとも伝えられています。