おさな子の親をしたえる心もて
          神に事うを信心という(星島良平高弟詠)

 星島良平高弟は、“六高弟”の一人(他に石尾乾介、河上忠晶、時尾宗道、赤木忠春、森下景端高弟)で、今日(こんにち)の私たち道づれも日々、拳拳服膺(けんけんふくよう)しておかげをいただいている、教祖神の御教えが凝縮された「道の理」をまとめられた方です。「道の理(ことわり)」は、星島高弟著の「教祖宗忠神御小伝(ごしょうでん)」の中の一節です。「凡(およ)そ天地(てんち)の間(あいだ)に万物生生(ばんもつせいせい)する其元(そのもと)は皆天照大御神なり…」と格調高く、教祖神の神観・人間観、そして人としてのありようが簡潔に表されています。

 また高弟は、それ以外にも「道の栞(しおり)三十カ条」「百二十言」「誠の心伝(こころづて)」等、数多く御教えをまとめられています。

 星島高弟は、お道信仰手厚い母君の星島宮子刀自(とじ)に連れられて、幼い頃から教祖神のもとに度々お参りされていました。幼くして父君を亡くされていた高弟にとって、教祖神は師であるとともに、父親のようなご存在であったと伝えられています。教祖神も高弟をわが子のようにかわいがられたといいます。こうした高弟が幼い頃、肺病のため生死の関頭に立たれました。

 かつて、宮子刀自も危篤状態に陥ったことがありましたが、その折、病床に伏していた刀自は、お見舞いにお越し下さった教祖神の御声に大感激して、無意識のうちに跳び起きて玄関先まで出迎えられました。すると、忽(たちま)ちにして全快のおかげを受けられたのです。こうした体験の持ち主であった刀自は、息子は必ずおかげをいただけるとの確信を持っておられましたが、知り合いの医者の忠告を聞いて、母子連れ立って教祖神の御宅を訪ねました。

 宮子刀自は、教祖神に息子の御祈念を申し出ることもなく、教祖神も特に何もなさいませんでした。ただ、御宅に参籠するだけという日が続いたある日、星島高弟は俄(にわ)かに手洗所で悪いものをすべて出し切り、それを境に重病を克服されたとの御逸話(ごいつわ)があります。星島母子が、いかにご神徳を信じ切り、天照大御神ご一体の教祖神に“捨て任せ”でなく“丸任せ”されていたかが伺えます。

 「おさな子」が親を慕う心、すなわち疑いと臆病を離れて教祖神を信じ切り仕(つか)えて、すべてをお任せできる信心に励みたく思います。「信心」の信は、信(しん)じる心、信(まか)す心、そして信(まこと)の心です。