孝行を常としなせばやすくと
          不死に登れる御代のめでたさ(赤木忠春高弟詠)

 本誌8月号の「道ごころ」において教主様は、8月のお盆行事は仏教だけのものではなく、元来は日本固有の先祖祀(まつ)りが基となっていることをご教示下さいました。そして、現代の家族構成や生活環境の変化に即応しながら、何としても守らなければならない、変えてはならない精神・アイデンティティー(自己の存在証明)が「崇祖(すうそ)」(先祖を崇(あが)める)の心であることを御(み)教え下さいました。

 日本固有の神道である本教においては、基本的に3月と9月の彼岸(春分・秋分の日を中日として、その前後7日間)に毎年、「祖霊祭」をおつとめしています。また、故人の命日に行われる式年祭(一般的には、1・3・5・10年、その後は10年おきに執行)をはじめ年々の、また月々の更に日々のご先祖に対する“感謝と敬仰(けいぎょう)の祈り”が、神道山・大教殿、各地の教会所、お道づれのお宅においてつとめられてきています。

 家宗(家の宗教)が黒住教である“教徒(きょうと)”、また家宗は他の宗教(多くが仏教)ながら本教を信仰している“信徒(しんと)”といったお道づれ(信者)皆にとって大切なつとめの一つが、最も身近な守護神(まもりのかみ)といえるお互いのご先祖に感謝と敬仰の祈りを捧(ささ)げることです。

 一般的には、悪い事が起こると「先祖の罰(ばち)・祟(たた)り」といった言葉を耳にすることが度々ありますが、教主様が「道ごころ」において明言下さった通り、本教においては罰や祟りなど決してありません。

 赤木忠春高弟が詠じられた「親の親その親々をたずぬれば天照(あまてら)します日の大御神」に示されるように、
天照大御神、ご一体の教祖神、そしてお互いのご先祖と今日(こんにち)の私たちは“親子関係”ですので、かわいい子孫に陰湿な災いを与えるはずはないのです。ですから、常に“親心”でお守りお導き下さる大御神様、教祖神、ご先祖に対して“孝養の誠”を尽くす中に、教祖神が「生き通し」と御教え下さった「不死」への道をやすやすと登ることができるのです。

 それにしましても、赤木高弟は教祖神に倣(なら)ってか、「不死」を「富士」にかけて洒落(しゃれ)っ気たっぷりにお諭し下さっています。実に味わいのあるお歌です。