陰気にせめられてご分心(ぶんしん)を穢(かが)し奉(まつ)り、
心気(しんき)を枯(から)す事、
天地(てんち)の親神様に対し奉りて、
此(こ)の上の大きな罪は有るべからず、
まことに不孝の第一なり(御教語)

  教祖神の御(み)教えの中核をなすのは「人は、天照大御神のご分心(みわけみたま)をいただく神の子」です。お互いに、大御神様のご分心をいただく神の子として、ご分心を傷めないように、その器であるわが心を丸く、大きく養い育てることを、私たちは常に心掛けなければなりません。教祖神は「ご分心を穢(けが)し奉(まつ)り、心気を枯(から)す事」が、神の子として「不孝の第一」と仰せになっています。

 また、教祖神の御教え(三十カ条)に「善人の罪を作るな」があります。「善人」とは善良な人のことで、普通に考えると法律はもとより倫理・道徳の上でも罪を犯さない人のことをいいます。ところが、教祖神は「善人にも罪あり」と仰(おっ)しゃっています。また、「善人と呼ばれる人の中に『親殺し、主殺しに勝る罪を犯す人』がいるから、くれぐれも気を付けるように!」と、厳しい口調でご忠言になったこともあります。人は、ご分心をいただく神の子であることに気付かず、そのご分心を傷つけることが何よりも大きな罪となることを、教祖神はご教示下さっているのです。

 そこで、ご分心の鎮まる下腹を養う上で大切なのが“三大(日拝・お祓い・御陽気)修行”です。また、教祖神の御教えを学びつとめることが、ご分心を養う道です。本誌7月号「道ごころ」において、教主様はお道の新たな言葉として「学(まな)び徒(と)」をご提示下さいました。教主様が、全てのお道づれ(教徒、信徒)が、御教えを学び実践することによってご分心が養われ、一層に開運の道を歩むことを願い祈ってお示し下さったお言葉です。「『興味と関心をもって』道を求めると、必ず道は開けてきます」と仰しゃっています。いわば、お道信仰の基本を素直にしっかりとつとめれば、必ず開運の道を歩むことができるのです。逆に、“疑いや臆病”の心は「善人の罪作り」への道となってしまうのです。

 ご分心を傷めないように「善人の罪を作るな」との御教えを実践すべく、心を前向きに“陽気”に保ち、何事にも感謝することがおかげを受ける秘訣(ひけつ)なのです。今日(こんにち)では、陽気な心は医療にも通じることが、医学界においても盛んにいわれています。