千早振る神の生み出す生みの子よ
          親の心をいたましむるな(御文一九号)

 平成30年・31年の2年間にわたる修行目標は、よりよく生きるための“五つの誠”の第二項の“孝養の誠”を眼目に、「活(い)かし合って取り次ごう!」を合言葉として、「暮らしの基本に“敬神崇祖(けいしんすうそ)”」を、教主様よりお示しいただきました。

 「敬神崇祖」とは、神を敬い先祖を崇めるという意味です。この四文字熟語は、今日(こんにち)国語辞典に掲載されていません。先の大戦までは辞典に記されていたとのことですが、戦後教育において“政教分離”のもとに辞典から消えてしまったのです。古来、この「敬神崇祖」は“神道の基本精神”として大切にされ、わが日本国の、そして日本人の根本精神でした。殊に「崇祖」の精神は、日本におけるほとんどの宗教に共通する概念で、わが国の宗教は神道や仏教を問わず、“先祖教”と言えます。

 御文一九号の今号の御(み)歌は「天照大御神が生み出(い)だす子供よ、親神様の御心を痛めさせてはなりません」という意味です(「千早振(ちはやぶ)る」とは「神」にかかる枕詞(まくらことば)で、特に意味はありません)。この御歌に続く御文は殊に格調高く、私たち人間は大御神様のご分心(ぶんしん、みわけみたま)をいただく、いわば神の子で、一切がご神徳の中の出来事であるから、ご神慮に沿って天命(大御神様のご命)のままに生きていくならば、少しも苦になることはないと強調されています。

 そこのところを赤木忠春高弟は、「親の親その親々をたずぬれば天照(あまてら)します日の大御神」と詠まれています。

 教祖神は「孝に生き、孝に病み、孝に救われ、孝に悟られた」ご一生でした。私たちの信心は、子が親に誠を尽くす“孝心”に外(ほか)なりません。そこには“神や霊(みたま)のたたり”といったものはなく、暗く陰気な心は存在しません。

 私たちを“開運の道”へとお導き下さる天照大御神、ご一体の教祖神、また各ご家庭の守護神(まもりのかみ)であるご先祖に“孝養の誠”を捧(ささ)げ尽くすことが、ご分心をいただく神の子としてのつとめといえましょう。