はずれたる人の誠を咎めずと
         己が誠を人に尽くせよ(伝御神詠)

 ある朝、宗忠神のお宅の屋根が所々焦げていました。隣人の者が上がってみると、七カ所も焦げた跡があり、近くには燃えさしの松明が残されていました。草ぶきの屋根にもかかわらず、火事にならなかったことが奇跡的なことでしたが、何はともあれ幸いなことでした。

 木造家屋しか存在しなかった江戸時代、火付けは最も重い罪として犯人は極刑に処せられました。それほどまでの重罪を犯させたことに対して深く思いを馳せた宗忠神は、燃えさしの松明を塩水で清めて御神前に供えて、3週間の願を立てて祈り続けられました。

 「大事に至らなかったことは、本当に有り難いことであった。わが家のためにも、火付けに及んだ者にも幸いでした。発覚したら、火あぶりの刑にも問われるほどの重罪なのに、何と恐ろしいことをしたものか…。畏くも天照大御神のご分心をいただいた神の子なのに、間違えれば間違うもの…。しかし考えてみると、人にこのような大罪を犯させたことは、大御神様に対してまことに申し訳ないことでした。お礼とお詫びを申し上げなければ…。過ちを犯した者が、心を改めて元の真人間に立ち返るようにお祈りせねばならない。尊いご分心をいただく人(日止・日倶)が、正しい心に立ち戻らないはずはない…」

 宗忠神の祈りは、お守りいただいて無事であったことへの感謝とともに、火付けをさせたことへのお詫びと犯人の改心と開運を願われたものでした。

 良心の呵責に耐えかねた火付け犯が自首してきたのは、満願の日のことでした。「よく乾いた草ぶきの屋根に火が付かないはずがないのに、何度松明を近づけても燃えず、『やっぱり偉い方、尊い方であった』と恐ろしくなって逃げ帰ったものの、それ以来『大変なことをしてしまった』、『申し訳ないことをしてしまった』と後悔し、悩み続けました。本日、ついに堪えきれず、お詫びに上がりました」と土下座する男に、宗忠神は優しく声を掛けて道を説かれ、真人間に導かれました。

 この男は修験者・祈祷者の類で、宗忠神を慕う人が増えたやっかみから逆恨みして事に及んだのでした。実は、先月学んだ宗忠神の“悟後の修行”と称されるご修行は、こうした根も葉もない誹謗・中傷を「わが不徳のいたすところ」と反省して臨まれたものでした。世の多くの教祖・宗祖・開祖と呼ばれる方々が「法難」として攻撃的になるのとは全く異なる、宗忠神ならではの尊い御姿なのです。