天地の誠の道にかなうまで
         印なくとも我は守らん(伝御神詠)

 文政6年(1823)12月12日付の「御文三一号」は、教祖宗忠神の直門高弟の筆頭で互いに肝胆相照らす道の友であった石尾乾介氏宛てのご書簡ですが、宗忠神自らが「我身ながら今にふしぎ」と明かされているほど、“不思議な”ご修行ぶりが記されています。

 「七ツの鐘(朝の4時を知らせる鐘の音)を聞いて、それから起き、それから水などを浴び、そろそろ身ごしらえ(服装を整えること)をして、まず一番に今村(今村宮)へ参詣いたし、それから中仙道(白鬚宮)へ参り、そのまま一の宮(吉備津彦神社)へ参りましてもなかなか夜が明けません。また宮内(吉備津神社)へ参り、それから庭瀬へ廻り、大神宮(庭瀬大神宮)へ参詣いたしましてもなかなか夜も明けません。それから直ぐに帰りまして、なかなか夜が明けません。あの祓いを二百ばかりも上げましたらようやく夜明けになりました。自分のことながら今に不思議に存じます。どうも半時(今の1時間)まではかかっていません。いつも五社参りをすれば一日かかるところを、一時間ほどではお参りして帰りました(後略)」
(「黒住教教書現代語訳」山田敏雄監訳 日新社発行)

 五里(約20㎞)以上の道程をわずか1時間とは、常識的にはとても信じ難い話ですが、他ならぬ石尾高弟宛ての文だったからこそ、「いよいよ信心相増し有り難きこと段々出来候」と、我々の知恵計らいを超えた奇しき有り難きご霊験を明らかにされたのでしょう。

 本稿では、ここのところ奇跡的な霊験談を紹介してきました。宗忠神の凄さを理屈抜きに知って、驚きと感激とともに信仰心を一層強めていただきたく存じます。先に紹介した「幸魂のおはたらき」と「土肥家へのご訪問」を有り難く学ぶと、今回の「五社参りの不思議」も、感動的に読んでいただけると思っています。

 実は、宗忠神の崇高さは奇跡もさることながら、その下地ともいえるご修行の徹底さにあります。「天命直授」の後の、“悟後の修行”と称えられる厳しい修行の一つが毎朝の「五社参り」であり、そして文政8年(1825)から4年間にわたってつとめられた「千日間のご参籠」でした。

 常に自らを深く顧み省みて、徹底的に心を祓い鍛え養われ続けた御姿こそ、宗忠神の偉大さなのです。