お日の出と共に三世紀。
黒住教(くろずみきょう)は
一八一四年の冬至の日、
教祖・黒住宗忠(むねただ)神が
昇る朝日に顕(あらわ)れる、
天照大御神(あまてらすおおみかみ)と
一体の境地に立つ“天命直授(てんめいじきじゅ)”という
宗教的神秘体験を得て立教しました。
その後二百三年の間、
教祖神直系長男を先頭に
六代に亘(わた)って日の出を拝み、
人のために祈り、人に社会に奉仕の誠を
尽くしてまいりました。
六代宗晴教主は
五代宗和教主の昇天に伴い「教主」に就任し、
四十四年の長きに亘って神務を
全うしてまいりました。
昨年傘寿(さんじゅ)を祝い、
満八十歳を迎えた本年九月十八日、
七代宗道への教主継承と
あいなりました。
当代が健在の内に教主継承が行われるのは、
立教三世紀を歩む教団史の上で
初めてのことです。
教祖神以来の
「祈りと奉仕に誠を尽くす」という精神を柱に、
時代の求める社会的使命を
果たしてまいります。
その教えは、
一切万物すべての親神が天照大御神で、
その尊いはたらきの中であらゆるものが存在し、
人は天照大御神の「分心」をいただいた神の子で
あるという世界観です。
代々の神職の家に生まれた黒住宗忠が
お日の出を一心に祈る中に尊い宗教的神秘体験を得て
立教なった神道教団です。
黒住教では、
この宗忠(教祖神)の体験を「天命直授」といい、
以来今日まで日の出を迎えて拝む
「日拝」を最も大切な祈りの時としています。
神道山では、毎朝お日の出の二十分前から
教主が日拝の斎主をつとめ、
世界の大和と人々の開運をお祈りしています。
岡山市の尾上神道山に本部を置き、
二〇〇年以上にわたって日本各地で
その教えに基づいた活動を行っています。
日の出を拝む「日拝(にっぱい)」を毎朝つとめて、大いなる自然の恵みの中で生かされて生きている喜びを素直に感じ、報恩感謝の心で「世界の大和」と「万民の和楽」を祈り、人に社会に誠を尽すことが、黒住教の教えの実践です。
教主就任に際して、私は「奉祈(いのりたてまつる) 人皆の心の神の御開運(ごかいうん)」という祈りを掲げた「告諭(こくゆ)」を発表しました。それは、全ての人に内在する「心の神」のはたらきが一層顕現されて、世の中が和やかに共に栄える「まることの世界」の実現を願った祈りです。
人々の“元の気”である“元気”を喚起する黒住教でありたいと願っています。
教祖神の天命直授の日拝にならい、
日の出の太陽を呑み込む思いで「御陽気をいただきて下腹におさめ
天地とともに気を養う」ことが日拝の神髄です。
御陽気修行とは、
日の光を呑み込んで下腹におさめ、もって天照大御神と
ひとつに溶けこむべくつとめる黒住教独自の鎮魂行です。
日拝をとおして、心から祈り日々の感謝を捧げることにより、
天照大御神のご神徳、すなわち“日の御蔭”をいただけます。
「まること」とは、
黒住教独特の言葉で、
「丸いこと(丸い状態と丸いはたらき)」を意味しています。
「丸い状態」は、
歪みや偏りのない調和のとれた状態であり、
天地自然の元来の姿です。
「丸いはたらき」とは、
どのような動きや働きかけも
決して一方通行ではなく、
直接または間接的に返ってくる双方向性の循環の働きであることです。
「まること」とは、
こうした天地自然の摂理と一体になったことを
指しています。
立ち向こう人の心は鏡なり己が姿を移してやみん
この「御七ヵ条」は、天照大御神の「分心」の器である人間の心が、
常に健全な状態にあるように努めることの大事を
説いているものです。
誠ごころを養うことを中心に、神に人にあらゆるものに徹底して誠を尽くした教祖神の教えを一言で表現すると、それは“誠の教え”です。私たち黒住教は「よりよく生きるための“五つの誠”」という実践徳目を掲げて、今あらためて教祖の教えを“学び、つとめよう”と呼び掛けています。