故 A・T・アリヤラトネ博士を偲んで
教主 黒住宗道
今月の「道ごころ」は、昨年四月十六日に享年九十二の天寿を全うされた、スリランカの偉大な指導者A・T・アリヤラトネ博士(アリ先生)を偲ぶとともに、その遺志を継いで立派に活動を展開されている、令息のヴィンヤ・アリヤラトネ博士(ヴィンヤさん)とのご縁を紹介したいと思います。
若輩の宗教者であった私に、アリ先生がわざわざ声を掛けて下さったのは、平成九年(一九九七)八月三日に国立京都国際会議場で開催された「比叡山宗教サミット十周年記念『世界宗教者平和の祈りの集い』」の「宗教協力と世界平和」部会で、私も提言者の一人であった「宗教対話の歴史と未来」のプログラムが終了した直後のことでした。
「あなたの意見に心から賛同します。素晴らしい発表でした」と、壇上から降りる私に博士が、笑顔で話し掛けて下さる光景を、会場内でご覧になっていたのが父(名誉教主様)でした。翌月号の本誌「道ごころ」(平成九年九月号)で、「世界に名高いこのような方に称賛されることは、若い身に何よりの力を与えて下さること…」と教主様(当時)が紹介して下さったアリ先生は、戦後のスリランカの農村生活の向上を中心とした社会改革を推進した「サルボダヤ・シュラマダナ運動(サルボダヤ運動)」の創設者で、二十世紀を代表する世界的リーダーの一人と称えられている方です。
大英帝国による長年の植民地支配によって、自立・自活する術を知らないスリランカ全土の村落で、「村を豊かにするために自分自身の意識を変えることから始めると、それは家族、地域社会、国、そして世界の変革につながる。すべての人が持てるもの、時間や労力や資金や知識や経験を互いに分かち合うことで、それは実現できる」という、仏教哲学に基づく「サルボダヤ(意識の目覚め)」と「シュラマダナ(分かち合い)」を指導・実践された実績は、今も高く評価されていて、三年前の満九十歳の誕生日は祝日になり、国を挙げての祝賀がなされたほどです。
お褒めの言葉をいただいた初対面の時、目の前の方がどれほど“偉い人”なのかも知らぬまま、私はまさに“若気の至り”で、当時事務局長として二カ月後の開催を前に急を要していた「’97おかやま国際貢献NGOサミット」への出席を、その場で博士にお願いしていました。「返事は後日に…」と言われた数日後に「代わりに息子を出席させたい」とメールをいただき、同年十月に遥々岡山を訪れてくれたのがヴィンヤさんでした。
当時、私は「国際貢献トピア岡山構想を推進する会(トピアの会)」の事務局長として、民間の国際貢献活動団体(NGO)が協力して開催を計画していた「おかやま国際貢献NGOサミット」の実務を任されていたのですが、とりわけ、前年の「’96NGOサミット」を機に発足した「人道援助宗教NGOネットワーク(RNN)」の将来構想を話し合った分科会で、ヴィンヤさんから「サルボダヤ運動」の経験に基づいた貴重なアドバイスをいただいたことは忘れられません。また、会議期間中ヴィンヤさんには神道山に滞在してもらったので、同年齢ということもあり生涯の友を得た喜びを感じたことです。なお、彼との対談記事「NGOの輪」が平成九年十一月号の本誌に掲載されています。
すっかり意気投合したとは申せ、なかなか再会は叶わず、平成十六年(〇四)十二月二十六日に発生した「インド洋大津波(スマトラ沖地震)」から丸一年の平成十七年(〇五)十二月二十六日に行われた、地元宗教者との合同慰霊祭に参列するために、スリランカを私が初めて訪れた際に、念願のサルボダヤ運動本部を訪問して、アリ先生とヴィンヤさん父子に再会することができました。
ただ、当時スリランカは人口の約七割を占めるシンハラ人と、少数のタミル人との民族紛争が長らく続いており、こともあろうに合同慰霊祭に訪れた被災地で、前日のクリスマスにキリスト教会で礼拝中の国会議員が、反政府武装組織によって銃撃される事件が発生し、急きょ軍による厳戒態勢下で慰霊祭が行われたほど緊迫した状況でしたので、大津波の爪痕の残る彼の地での再会を楽しめる余裕などなく、ご自宅に招かれて懇談するくらいの時間はありましたが、早々に退出せざるを得ませんでした。その時の様子は、地元紙山陽新聞の掲載記事とともに本誌平成十八年二月号に紹介されています。
それから十年後の平成二十七年(一五)十月二十九日に、サルボダヤ運動本部を会場に諸宗教による合同慰霊祭が行われることになり、スリランカを再訪して初めて落ち着いてお二人と旧交を温めることができました。
同年十二月号の本誌に、池田光男編集長が随行記を執筆してくれていますが、数年前に内戦は終結したものの、二十六年もの長きに亘った対立の痛手の残る中、さまざまな事情・立場の子供たちを集めて教育を通して和解に努めているサルボダヤ運動の取り組みを見学し、子供たちと記念植樹を行ってから慰霊祭をつとめ、その後にご自宅で一緒に食事をいただきながら過ごせたのが、結果的にアリ先生との最後の時間になりました。
小柄なお姿と人懐っこい笑顔と優しい声は、いわゆるカリスマ性とかオーラと呼ばれる雰囲気とはまるで違いますが、魅力的な人柄と実行力が「真のリーダー」と称えられる所以であると実感したことを思い出します。最初の訪問の時に説明を聞いて驚き感動したのが、スリランカ全土の沿岸部を襲った大津波で、被災した村落に対する被害のなかった山間部の村落からの支援体制を構築する際に、対立する民族同士の村落を意図的に縁組させたという話でした。全国民、すなわち対立する双方の民族から揺るぎない信頼を受けるアリ先生の抜群の指導力あってこそ実現できた支援策でしたが、数年後の内戦収束の下地になったことは間違いないと思います。
今年三月二十一日に東京都内で「A・T・アリヤラトネ博士を偲ぶ会」が開かれ、十年ぶりにヴィンヤさん夫妻と再会するとともに、アリ先生と縁ある方々と思い出を語りました。昨今の厳しいスリランカ経済の下にあって、サルボダヤ運動もかなり困難な道を歩んでいるようですが、「各村落の自立・自活を推進してきたシュラマダナ(分かち合い)の実践で、今より厳しかったコロナ禍も乗り切ってきた」と活動報告の講演を力強く締めくくった畏友ヴィンヤ・アリヤラトネ博士に、心から激励の拍手を贈ったことです。
ところで、私事になりますが、今春に結婚したばかりの私の姪(妹の長女)の主人(独立行政法人 国際協力機構〈JICA〉勤務)のスリランカ駐在が数日前に決定し、図ったようなタイミングに驚きながら、若い夫婦をヴィンヤさんに紹介できることを喜んでいます。物語の次章が始まる予感がしています。
末筆ながら、故アリ先生のご冥福を心からの感謝を込めて祈念いたします。