通信講座普通課程
本部スクーリング受講生への講話
教主 黒住宗道
一年間通信講座で御教えを学んだ締め括りの本部スクーリングとして、ようこそ神道山にお参りになりました。皆さんが黒住教の教えを学び始めたきっかけは、これまでのように教会所の先生や親御さん、ご家族から勧められたという方もいらっしゃるでしょうが、昨今のデジタル社会の傾向としてSNS等を通じて教祖宗忠神のことを知って、自らの意思で受講を申請した方々もいらっしゃると思います。いずれも、まことに有り難いことで、皆さんが「ご神縁」をいただかれたことを心からお慶び申し上げます。
まずは、この「ご神縁」から私の話を始めたいと思います。「ご神縁」とは「有り難い縁(えん・えにし)」のことです。
「縁」とか「因縁」というと、ややもすると人は有り難くないことや悪いことに目を向けてしまいがちです。「何事も火のないところに煙は立たない」と、現在の不都合や不幸の「原因」探しに懸命になってしまう人のなんと多いことか…。「因果応報」すなわち「原因と結果は報い応じる」のは当然のことですが、「現在」は「将来」の「過去」すなわち「原因」であるということを真剣に考えずに、取り返しのつかない「過去」ばかりに心奪われ、掛け替えのない「現在」を、有り難くないことや不幸の原因探しに費やしてしまうのはもったいない限りです。それはまた、「過去の因縁を祓ってやるから金を払え」的な悪徳似非宗教の常套手段に、自分から引っ掛かりに行くようなものです。「過去」は「現在」を活かすための「経験値」で、より良き「将来」のための「要因(要素と原因)」が「現在」なのですから、いかに「現在只今」を心して陽気に有り難く生き切るかが、何よりも重んじられなくてはならないはずです。
どうですか? 「黒住教の教えっぽくなってきた…」と感じていますか?
冒頭に「ご神縁」とは「有り難い縁」と申しました。究極は、「一切神徳(全ておかげ)」で、「何もかも『ご神縁』」と感謝できる「道ごころ」を養うことが目標ですが、まずは自然に「有り難い!」と思える出来事や縁を素直に喜び感謝して、そして「有り難くない出来事や縁」に対してこそ、できる範囲で大丈夫ですから「『…にもかかわらず感謝』と『…だからこそ感謝』の心で『活かし上手』に受け止めて、少しでも『有り難うなろう』と『心なおし』に努める生き方が、教祖神の説き示された開運の教えである」ということを、一年間御教えを学んだ皆さんなら気づいてもらえると信じています。
「心なおし」という“自助努力”は欠かせませんが、「心が“なおる”ほどに、さらには“祓われる”ほどに“養われる”ほどに、天照大御神のご神徳が『ご分心』を通じてわが心に満たされ、“おかげ(日の御蔭)”をいただける」ということも、皆さんはこの一年間で学ばれました。「心一つ開くれば、何か一つ苦しみはなし、何につけても楽しく有り難きことばかりなり。皆心一つを、開くとふさぐの二つなり」(御文一三七号)であり、「世の中の事は心程ずつの事なり。心が神になれば即ち神なり」(道の理)と、教祖神は実に端的にご教示下さっています。
ところで、私の教主就任以来のスローガンである「活かし合って取り次ごう!」を、御教えを学んだ“学び徒”各位にこそ、しっかり自覚してもらいたいと切に願って、本部スクーリングで必ずお話しすることがあります。それは、「一人ひとりが“教祖神との取り次ぎ役”であっていただきたい」ということです。
数ある教祖神の御逸話(宗忠神話)の中から、特に“取り次ぎ役”の存在が重要な題材を紹介します。
赤木忠春高弟の入信のきっかけとなった有名な御逸話に欠かせないのは、高弟の叔父とも従兄とも言われる西村斉助氏の存在です。将来を期待されて赤木家の養子として迎えられた高弟が二十二歳から八年間の盲目に呻吟する姿を見かねて、教祖神を訪ねることを強く勧めたのが西村氏でした。「今さら、惑わされたくない…」と渋る赤木先生に、「勘当」とまで激昂して導いた身内なればこその熱い思いが伝わってきます。一度のお説教で開眼のおかげをいただいた赤木高弟と教祖神の固き子弟の絆が生まれたそもそものきっかけが、西村氏の熱意であったことを心に刻みたいものです。
また、今まで数え切れないほどのお道づれが心の支えとしてきた「この左京を師と慕う者を見殺しにはせぬ」という、教祖神の力強いお言葉が発せられた際の御逸話にも、“ある人”の存在が欠かせません。中野屋庄兵衛という篤信の方が危篤に陥った際、「途中で死んでも構わないから…」と教祖神直々の祈りを切望した庄兵衛さんの願いを叶えるべく、駕籠を雇って教祖神のもとに向かう道中に彼は息絶えてしまいました。「残念ながら仕方がない」と引き返そうとする付き添いの中に、ただ一人「あれほど望んだのだから、黒住大先生のご意見を聞いてこよう」と言って、一っ走り教祖神の御宅に駈けつけた人がいました。「お連れなさい!」とのお言葉をいただいて、名高い霊験談として語り継がれる尊いおかげが顕れるのですが、“ある人”の熱意なくしてありえなかった奇跡です。
その他、江戸時代の当時、最も恐れられていた癩病(ハンセン氏病)の患者が教祖神のお取り次ぎによって完治したという感動的な話も、世捨て人となって岡山に流れ着いた患者にいたわりの言葉をかけて教祖神のもとを訪ねるように勧めた人の存在なしにはありえません。さらには、後に黒住教の発展に寄与された直門の先生方にも、元はといえば教祖神とのご縁を結んで下さった方がいらっしゃることは明らかです。五日ごとの御会日に三年間欠かさず参ってもおかげを受けられないことを申し訳なく思ってお別れの挨拶に臨んだ際に、教祖神のお諭しで心の眼が開いて自宅に帰る道中に開眼した奥村圓左衛門氏も、また「病に負けておられませんか!」の一言で長年の病を一気に克服した尾形長次郎先生も、そもそもは“ある人”の勧めで教祖神とのご縁が結ばれたことを見落としてはいけません。尊い霊験談(おかげ話)を拝読する際、教祖神とおかげを受けた方とを結びつけた“取り次ぎ役”を意識して学んで、“学び徒”のあるべき姿として手本にしてください。
本誌『日新』をお読みくださっている皆さまも黒住教の“学び徒”ですから、通信講座受講生と同じ話を聴いて(読んで)おいていただきたいと思い、今月号の「道ごころ」を著しました。教祖神の御教えに触れて、一人でも多くの方が心豊かに健やかに開運の人生を送ってもらいたいと心から願っています。全ての“学び徒”が“教祖神との取り次ぎ役”であっていただきますよう、よろしくお願いします。