活かし合って取り次ごう!
心なおしと常祓い
教主 黒住宗道

 冒頭に、「令和六年能登半島地震」の犠牲者の御霊に謹んで哀悼の祈りを捧げます。そして、今も辛苦の避難生活を余儀なくされている被災者の方々に衷心よりお見舞いを申し上げます。地震発生以来、一日も早い復興と本復を祈らない日はありません。

 「よりよく生きるための“五つの誠”」の各条項を二年毎に眼目として発表している「信心心得」(以前は「修行目標」と称していました)ですが、今年と来年は〈反省の誠〉を眼目に「心なおしと常祓い」といたしました。

 そもそもは、立教二百年大祝祭を中心とした〝祭り年〟を終えた平成二十八年(二〇一六)に、〈祈りの誠〉を眼目にした「祈りは日乗り 日拝と日々の祈りにつとめよう」が始まりでした。翌年の平成二十九年(二〇一七)九月十八日に私は黒住教教主を拝命して、七代教主として初めて迎えた新年であった平成三十年(二〇一八)に、〈孝養の誠〉を眼目に「暮らしの基本に〝敬神崇祖〟」を発表、その翌年、今上陛下がご即位になり令和へと改元されて新たな御代が始まりました。明くる令和二年(二〇二〇)に〈奉仕の誠〉で「〝まること〟の丸い心 丸いはたらき」、そして令和四年(二〇二二)の〈感謝の誠〉で「〝ありがとうなる〟有り難さ」と、二年毎に呼び掛けの文言を改めながらの今年という〝当たり年〟でした。

 何もかも〝ご神慮(神のおはからい)〟と無理やり結びつける訳ではありませんが、基本に根ざした〝敬神崇祖〟を掲げた二年間が本教にとっても日本国にとっても〝うったて(「物事を意識して始める」という意味の岡山弁)の年〟で、その後の〝まること〟と〝ありがとうなる〟の四年間が〝コロナ禍中〟、そして、いよいよ〝コロナ禍明け〟を意識すべき今年、〝心なおしと常祓い〟を掲げて新年を迎えた意味深長さを感じずにはいられません。しかも、その幕開けは、思いもかけない激甚災害と、画面に映し出される光景に驚愕しつつ祈るほかなかった羽田空港での大事故でした。

 本稿先月号でも触れましたように、ほかならぬ自分自身の人生の中でコロナ禍の三年三カ月間を〝消化〟して財産(経験値)にするために、「心なおし」の教えは必要です。加えて、「一体、今年という年はどんな年になってしまうのか…」と、ややもすると悲観的観測が無意識のうちに広がりやすい各々の心をなおす(治す・直す)ことはとても重要なことです。〝コロナ禍中〟に度々お話しした、「心配はせよ、されど心痛はすな」(御教語)、「用心しても、疑心暗鬼になってはいけない」、「〝ありがとうなる〟とは『…にもかかわらず感謝すること』であり『…だからこそ感謝すること』」等を、あらためて「心なおし」という意味で拳拳服膺(肝に銘じて常に忘れないように)していただきたく存じます。

 ところで、今まであまり意識したことがなかったのですが、今年の干支(十干と十二支)である甲辰の「甲」は、「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」の最初です。十年で一巡するのが十干ですから当たり前ですが、十年前の立教二百年(甲午)も、五十年前の神道山ご遷座の年(甲寅)も、そして文化十一年(一八一四)という立教の年(甲戌)も当然「甲」年でした。

 そこで、立教二百年大祝祭を有り難くつとめ終えて迎えた立教二百一年の年、すなわち立教三世紀の幕開けに、拙著「The Sun Century ―サン世紀を迎えた日拝の宗教―」の冒頭で次のように記したことを思い起こしました。


 実は、「立教二百年冬至大祭」を前にして判明したのが、この掛け替えのない年の冬至の日が、十九年と七ヵ月に一度の「朔旦冬至」と称される格別にめでたい冬至の日であったことでした。旧暦十一月一日の大安吉日で新月、暦のすべてが改まって再出発する、正に正に「陰極まって陽に転じる」、「一陽来復(福)」の日だったのです。ご降誕が庚子の年の戊子の月の庚子の日という、干支の始まりである子が三重に連なる冬至の日の出の時刻、ご立教が文化十一(一一)年十一(一一)月十一(一一)日という一が六重に連なる冬至の日の出の時刻、そして立教二百年が朔旦冬至…。何とも、有り難く、畏れ多く、もったいないご神慮でした


 いま、それに加えて十干の始まり年である「甲」が、立教と神道山ご遷座の十年毎の佳節に合致することを、一層有り難く感じています。二年前の本「道ごころ」で掲げた〝祝い年〟の中心が今年ですが(本誌令和四年二月号)、歓喜と感謝の年に相応しい日々を重ねて、今秋の「立教二百十年・神道山ご遷座五十年記念祝祭」を心はればれと迎えたいものです。

 「心なおし」を日々の心の持ち方・用い方とするならば、「常祓い」は常に心がけたい心の掃除・洗濯です。

 頭を使って思考することも大切ですが、「阿房になれ」、「我を離れて天に任せよ(離我任天)」、「時々刻々常祓いに祓えよ」、「妄念を祓え。雑念を祓え。悪念を祓え。邪念を祓え。善念をも祓えよ」、「物事の執着を去るが祓いの要なり」、「神道は祓いの一言に在り。祓いは神道の首教なり」等々、徹底的に「祓い」の大切を繰り返し説いて、率先して「祓い」を実践励行されたのが教祖宗忠神でした。

 古来神言として重んじられ、中世以降は神道家の間で注釈を加えて盛んに論じられたという「大祓詞」は「中臣祓」とも称され、神道の祈りと教えの根幹と申せますが、その日本古来の祈りの詞を一切解説せず、一本でも多く上げる(唱える)ことを何よりも重視されたのが宗忠神でした。暗唱できるようになるまでは、「意味が分かった方が覚えやすい…」と誰もが思います。しかし、一語一語に言霊幸わう太古からの大和言葉を無心になって朗唱する時、語彙の解説がなされていない有り難さを実感します。初めは読唱でよろしいから、一音一音明確に声に出して読み上げて、心の祓いを実践・体感していただきたいものです。

 ところで、大事故から九日後、私は通常運行が回復したばかりの羽田空港に日航機で降り立ちました。何の不安も恐怖もありませんでしたが、海保機の乗務員が犠牲に、操縦士が大怪我を負った大事故の現場への着陸ですから、私は降下を始めた時から心中でお祓いを上げ続けました。思い起こせば、かつて英国留学中に「アウシュビッツ強制収容所跡」を訪ねた際、数万という命が奪われたガス室の横でお祓いを上げ続けたことがあります。その時に初めて実感したのが、「お祓いという能動的な祈り」の有り難さでした。

 今は、被災地に思いを寄せてお祓いを上げるとともに、義援金を通して復興・本復を願い祈るばかりです。