この方の清きところ
 ―黒住教の信仰観の特性① 神観―
教主 黒住宗道

 「凡そ天地の間に万物生生する其元は皆天照大御神なり。是万物の親神にて、其の御陽気天地に遍満り、一切万物光明温暖の中に生生養育せられて息む時なし、実に有難き事なり」(教祖宗忠神の説教「道の理」の冒頭部分)

 この「一切万物の親神である天照大御神の神徳は天地に満ち渡り、あらゆる存在が常に生々養育されている」という教えは、実はありそうでない黒住教ならではの神観です。

 「全てを分け隔てなく照らし温める太陽の生々発展のはたらき=天照大御神のはたらき」ですから、黒住教には〝そもそも地獄〟とか〝そもそも悪魔〟とか〝そもそも罪科〟等の発想はありません。もちろん、陽当たりの良い所と悪い所があるように、好ましからざる環境・条件によって結果的にもたらされる現象、例えば地獄絵図の様相とか悪魔の所業のような陰湿な罪や穢れを否定するものではありませんが、「元々存在する地獄や悪魔や罪科はない」と断言できることを、私は本教の特性(特長・特質)としてもっと明確に発信すべきだと思います。

 また、果てしない宇宙空間で太陽の光と熱が届く範囲は限られているのに、「『太陽のはたらき=天照大御神のはたらき』というのは如何なものか…?」と誰もが感じるところでしょうが、あくまでも太陽は天照大御神の顕在(目に見える姿として顕現した存在)であって「太陽=天照大御神」と断定されるべきではないので、科学によって解明された事象との矛盾もありません。関連して申せば、「日本神話との整合性」という疑問も生じるかもしれませんが、社家(代々の神職の家)に生まれて、幼い頃から家督後継者としての教育を十分に受けていたにもかかわらず、神話に基づく説教を宗忠神はほとんど行われていないことから、本教の神観は「まず神話ありき…」ではありません。但し、「造化三神と総称される天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神をはじめとした天津神・国津神をそれぞれ言上げしないだけで、全ては東天に昇る日の神・天照大御神を以って総合的に称え奉っている」と理解させていただくことで、矛盾はしていないと考えます。さらに、神話のエッセンス(神髄)といえる大祓詞(中臣の祓い)を、今も祈りの詞として事ある毎に唱えていますから、少なくとも日本神話を軽んじているということはあり得ません。

 ところで、かつて私の講演を聞いたイスラーム指導者から「黒住教の天照大御神観は、私たちのアッラーへの信仰観と似ている」と言われて、教えに共感してもらえたことに感謝しつつも、「アッラー以外の神を認めない」とか「天国と地獄を明確に説き示す教え」とは全く異質であることを丁重に申し上げたことがあります。ただ、この指摘は決して的外れではありません。本教は「黒住神道」と自称するほど日本古来の神道を尊重していますが、“一神教”的な要素は確かにあります。「万物の親神」として奉る天照大御神の神徳の中で、全ての神聖なはたらきを「八百萬神」と総称して崇拝する神観は、「一切は万能の神アッラーによるもの」と崇めるイスラーム信仰と似ています。

 そこで特筆されるべきことが、本教の開放性と大らかさを特徴づけている神道ならではの八百萬神信仰です。

 日本神道の最大の特性ともいえる八百萬神(一般的には「八百万神」)観ですが、「そういえば、祭神として祀る神社を知らない…」と思ったので、参考までに生成AI(チャットGPT)に尋ねてみました。「『八百万神』または『八百萬神』という神名を祭神とする神社はありますか?」という私の問いに対する回答が以下の通りです。(原文のまま)

 「八百万神」という神名そのものを祭神とする神社は、私の知る限り存在しません。これは、八百万神とは、日本神話に登場する神々や、自然現象、祖先の霊など、数え切れないほどの神々の総称であるため、神社ごとに祭神が異なるためです。
ただし、八百万神を総称して祀る神社は多くあります。その中には、八百万神を一体の神として祀るとされる場合もあります。例えば、伊勢神宮では、天照大神をはじめとする数え切れないほどの神々が、八百万神として祀られています。また、出雲大社でも、国内外の神々が集い、祭られているとされています。
一方、「八百萬神」という表記は、現代の日本語ではあまり一般的ではありません。

 正直なところ「我が意を得たり…」の思いです。本教が「御三神」として奉斎する
「天照大御神、八百萬神、教祖宗忠神」の特異性と有り難さを、感慨深く再認識させていただきました。わざわざAIが、「例えば…」と具体的に示してくれた伊勢神宮と出雲大社との揺るぎない御神縁を思えば、なおさら、私たち黒住教の信仰者(お道づれ)は、他に類を見ない御斎神の尊さを、一層強く心に刻んで、自らの信仰を深めるとともに広く発信していただきたいと思います。

 そして、こうした本教ならではの独自性とともに普遍的な神観を説き明かして、今も
天照大御神とご一体の神として、私たち黒住教のお道づれを救済い守護り教導いて下さっているのが教祖宗忠神です。

 いま、私は敢えて「黒住教のお道づれを…」と限定的に申しましたが、「天照大御神」と「八百萬神」への信仰は、宗教や人種や国籍等を問わず世の中の全ての人々(人皆)に向けて発信すべき普遍・不偏のメッセージですが、「教祖宗忠神」への信仰は、あくまでも黒住教を信仰する人(お道づれ)に向けたメッセージだからです。

 かつて私は、立教二百年を記念して出版された『黒住教二百年史Ⅰ』(2016 黒住教本部発行)の「まえがき」で、次のように記しました。

 「まずは人徳者・偉人としての黒住宗忠という人間の魅力を大いに感じて、敬愛と敬慕の念を強くしていただければ嬉しく存じます。次に、黒住宗忠という師匠の言葉と振る舞いを自らの人生の手本・教えとして学んで、素直に私淑する気持ちになっていただければ幸いに思います。そして、人智を超えた霊験あらたかな尊いはたらきを祈り・取り次がれた黒住宗忠という神への尊崇と感謝の心で、日々手を合わせて拝礼していただければと願います」

 偉人であり師匠であり神である教祖宗忠様への絶対的な帰依心をもてるのが、私たちの最高の喜びです。どんな時も、宗忠神が常に守り導いて下さり、必ず幸せをもたらして下さることを、感動と感謝の中に確信させていただける揺るぎない信仰を確立してまいりましょう。

 自作の文章ですから書体を変える必要はありませんでしたが、「救われたい、助かりたい、守られたい、導かれたいと願って、教祖宗忠神を信じて祈る『お道づれ』のためにこそ、誰もが認める偉人・賢人たる黒住教教祖宗忠様が天照大御神とご一体の神として今もおはたらきくださっている」のです。「黒住教の教えに共感・賛同すること」と「黒住教を信仰すること」の違いを明らかにしておくことは、自らの意志で揺るぎない信仰を確立する上で欠かせないことと信じ、今月から数回に分けて、「この方の清きところ ―黒住教の信仰観の特性―」と題して「神観」・「霊魂観」・「人間観」・「まることの世界」を当「道ごころ」で発表してまいります。