活かし合って取り次ごう!
“ありがとうなる”有り難さ
教主 黒住宗道

 昨年と今年の「信心心得(修行目標)」について、当「道ごころ」で述べておきたいと思います。

 まず、「活かし合って取り次ごう!」は「元気を喚起」と並んで、お道づれの皆さまに身近なキャッチフレーズ(謳い文句)として慣れ親しんでもらいたいと願って呼び掛けている、いわば「七代教主の“代名詞”」です。教主就任に際して発表しました「告諭」と「示達」を折に触れて読み返して、「奉祈人皆の心の神の御開運」と「天照らす神の御徳を取り次ごう 互いの誠を活かし合って」の推進力としての「元気を喚起」であり「活かし合って取り次ごう!」であるということを理解して、皆さん夫々が推進者であり発信源であっていただきますよう、心から期待しています。

 その上で、〈感謝の誠〉を眼目とした「信心心得」が「“ありがとうなる”有り難さ」です。

 昨年元日のRSK山陽放送のラジオ番組「新春を寿ぐ」と地元紙山陽新聞の「新春抄」でも紹介した「ありがとうなる」は、本教の教えを代表する独自の言葉です。「『…にもかかわらず感謝する』ことであり、『…だからこそ感謝する』こと」と定義させていただいた私からのメッセージに対して、有り難いことに思いがけないほどの反響があり、「切り抜いて持ち歩いています」とか「『…』を『コロナ下』と置き換えたら心が楽になった」等の感想を次々にいただきました。今なお第八波のコロナ禍中にあって、今年の「要心」とセットで、「心して“ありがとうなる”」という「徹底感謝」に励んでまいりましょう。

 「より積極的に“ありがとう”に…」という意味でも象徴的で感動的だったのが、今年の初日の出でした。

 午前零時からの歳旦祭を終えて夜空を見上げると、沢山の星が煌めいていたので「これは有り難い!」と、数時間後の初日の出を心待ちにしていたのですが、いざ日拝所に上がってみると、お日の出の方角である南東には厚い雲が横たわっていました。その時、鮮やかに蘇って来たのが昨年の元旦の御日拝でした。山のような雲の塊を乗り越えて御姿を拝するまで、大祓詞を三本上げて、祈りに祈り、祓いに祓い、待って待って迎えたご来光に、「いつか必ず乗り越えられる=まだまだ頑張れ!」という教訓をお示しいただいた思いでした。昨年は昨年で有り難い初日の出であったものの、今年は、数時間前の星空を見て“普通に”美しい初日の出を拝むことができると安心していただけに、いささかショックでした。

 そのような心中の動揺を祓い切るべく一心にお祓いを上げていると、昨年とは異なり、目の前の雲がどんどん朱色に染まっていくことに気付きました。普段通り大祓詞は一本で終えて、祝詞奏上の後に御陽気をいただきながら心静かに待つタイミングでしたが、刻一刻と赤みが増しているとはいえ、山を覆う雲が横たわっていることに変わりはありませんから、私は参拝者の皆さんと、一層力強い祈りの中にお日の出を迎えたいと思い、もう一本大祓詞を上げました。二本目のお祓いの最中に、雲は明るい赤黄色の靄へと変化し、有り難いことに山の端からの初日の出に見えたのは、祝詞奏上を始めて最初の息継ぎをした時でした。異例なことでしたが、私は平伏(深い礼)をしている方にお知らせするために「只今、お日の出です!」と一言発して、引き続き祝詞を奏上しました。一気にどよめきと歓声が起こり、神道山上は大歓喜に包まれたのでした。

 感激の御日拝を終えて、お参りの皆様に私は新年の挨拶をしました。

 「昨年は『明けない夜はない』・『止まない雨はない』を実感させていただいた元旦の御日拝でしたが、今年は『壁は突き抜けられる』と勇気をもらった初日の出のおかげをいただきました。皆さま、おめでとうございます! まだまだ『要心』しなくてはいけませんが、一歩前にしっかり行動して、ご開運・ご多祥の日々を積極的にお受けになる一年でありますように…」。挨拶を終えるや否や、期せずして起こった拍手の渦の中で、人々の元気を喚起して、ともに皆でありがとうなる有り難さを、元日早々に私自身が体験させていただき胸が熱くなりました。

 “お日様教”と称して差支えない黒住教ですから、丸く大きく明るく温かく、そして強く元気に前向きで逞しい、昇る旭日のような存在が人としての理想の姿です。ご在世中の教祖宗忠様は、間違いなくそのような御方でしたし、私も教主として常に憧れ「斯くありたし…」と目指していますが、信仰手厚いお道づれが手本を示して下さることが度々あります。

 つい先日も、二年に及んだ抗がん剤治療を、副作用も苦しみもなく無事終えることができた御礼参りに来られたご婦人が、「最終検査の結果、転移が見つかって手術することになりましたので、その御祈念も併せてお願いします」と言いながら、「健康体でしたら発見されないような早期で見つけてもらえたのも、治療と検査をしてもらっていたからこそ…。病気になって、生かされている有り難さ、命の尊さを、今までも分かっているつもりでしたが、心の底から実感させていただくことができました。『病気のおかげで…』と思えることばかりです。本当に有り難いと思っています」と優しく微笑みながら話して下さいました。

 彼女を称えながら、その揺るぎない信心の原点を尋ねると、幼い頃に小児麻痺の子供さんが御祈念を受けて立ち上がったのを目の当たりにして以来、「代々信仰させていただいているこの道以外は考えられず、いつもお願いして、いつもおかげをいただいてきました。(宗忠様は)必ず助けて下さいます」と言って、特に今回の治療中は一層お祓い修行に専心したことを話してくれました。

 かつて六代様から、「『教主』に“レ点”を付けて『主に教えられる』と読むと良い」と教えていただきましたが、まことに尊い、生きた「信心心得」を、本稿執筆中という絶妙のタイミングで教え示していただきました。おかげを受けられないはずはないと確信していますが、本復快癒した彼女ご自身の言葉を、本誌の「ひのあかし」で紹介できる時を心待ちにしています。

 「“ありがとうなる”有り難さ」を、活かし合って取り次いで、ともに世の中の人々の元気を喚起してまいりましょう!