還暦、三㐂游!
教主 黒住宗道

 本誌六月号で紹介しましたように、私事ながら、本年私は還暦を迎えました。両親が揃って健在であることを先ず心から感謝し、その上で、この掛け替えのない年を“更新節”と位置付け、例年以上に心して「感謝・還元・感動」の日々を重ねることに努めました。

 申し上げるまでもなく、今も決して油断のならない「要慎・要心」すべきコロナ下であること、そして今なお続くロシアのウクライナ侵攻による戦禍の速やかなる終結を祈らない日はない毎日です。また、教団的には去る十月十六日に有り難く記念祝祭を斎行できた「神楽岡・宗忠神社ご鎮座百六十年」という実に芽出度い年でした。

 意味のない年や月や日などありませんが、意識して有り難く時々刻々を過ごすことが「ありがとうなる」道の教えですから、私にとって今年ほど「有り難い(滅多にない)」年はありません。日々の神務に支障を来さないように心掛けながら、私はこれから紹介する二つの行事に「心ワクワク」しながら本気で取り組みました。

 その一つは、六月号の本稿で紹介した“報恩感謝祭”の開催です。コロナ下による閉塞感を脱する思いで参加した人々が、晴れやかに上を向いて楽しめる企画。それを協力・協賛して下さった人々の善意により、毎日「こども食堂」で食事をする子供たちに笑顔と歓声を届けるプレゼント。それらを一緒に「心ワクワク」しながら計画・推進する同い年の還暦仲間と感謝と感動を分かち合えるプラン。そのようなアイデアを検討する過程で、岡山では前例のない規模の花火大会(ファイヤーワークス フェスティバル)を地元応援団長として盛り上げるという、願ってもない役を引き受けることになり、「心ワクワク」という意味での「恋する」を冠した「恋する還暦実行委員会」委員長として八月六日の当日まで会合と準備を重ねました。

 私たちは「岡山国際サーキット」(美作市)を会場とした大掛かりなイベントの、あくまでも応援団でしたから最初からチケット販売等の責任や義務はありませんでしたが、他府県での実績のある主催団体によるSNS(デジタルのネットワーク)を用いたPR効果と、多くの人々が熱望していた内容ということで、あっという間にチケットは売り切れ、現代社会の情報力とそれを駆使する人々の行動力の速さと凄さをあらためて実感しました。当日は、我々が盛り上げる必要もないほどの賑わいでしたが、逆に多すぎるほどの参加者を分散して受け入れると同時に花火の打ち上げまでを楽しく過ごしてもらう場として、私たちの“祭り”は予想以上に歓迎され、その準備等で協力・協賛していただいた個人・団体のおかげで、当日の招待は元より、四年ぶりに地元での開催となった木下大サーカスと、同じく地元の池田動物園の招待券を、県内の「こども食堂」を支えるNPO法人「KOTOMO基金」を通して子供たちにプレゼントすることもできました。

 実は、当日は午後からの降水確率が八〇パーセントで、「雨天決行するが、風と雷次第では中止」という主催者発表の中、何度も灰色の雨雲が近づいては、まさに雲散霧消し、花火打ち上げ直前まで遠くの稲光が夜空を照らすほどであったにもかかわらず、最後まで雨は降らず、感謝と感動とともに安堵のフィナーレを迎えることができました。

 次の「心ワクワク」は、県立岡山芳泉高校同期の友人たちとの伊勢参宮の旅でした。

 十二年前の「卒業三十周年記念同窓会」の最後に「還暦には伊勢に参ろう!」と呼び掛けたのが発端で、準備会と称して集いながら、連絡のつく限りの友人に案内して参加者を募り、岡山からのバス利用者と伊勢での合流組の合計四十五人で、去る十一月五日~六日の一泊二日、愉快で懐かしく有り難い「還暦記念参宮」の“おかげ”をいただきました。

 まさに修学旅行の計画を立てるようなワクワク気分で準備万端整えて迎えた旅の当日は、二日間とも最高のお天気に恵まれました。道中の車内と前晩の懇親会で「イッパイ」が過ぎて「シッパイ」した連中もいましたが、二見ケ浦での「ニッパイ」に私とともに「サンパイ」した友人たちにとっては、夫婦岩の遥か向こうにはっきりと富士山を拝むこともでき、私が唱えた「御開運の祈り、併せて御聖願達成の祈り」に併せて二礼二拍手一礼して山の端から昇る旭日に拝礼できた、記念すべき還暦参宮の朝でした。

 朝食後、一同はこの日のために特注した揃いの赤いネクタイとスカーフを着装したスーツ姿に身を正し、私は皆の要望で日拝時から羽織・白衣・袴という御神前での普段の身なりに、この日だけ白衣の襟元に赤いスカーフを折り込ませていただき、外宮へ、そして内宮へと向かいました。

 とりわけ内宮では、神宮支庁広報室広報課の音羽悟課長の丁寧なご案内の下、御垣内正式参拝、終わって古殿地参拝と、特別な参宮ができたことに一同大感激でした。

 余談ながら、参宮当日は宇治橋前をゴールとする「全日本大学駅伝」の当日で、ゴールに駆け込む選手たちを間近に応援できた“オマケ付き”、しかも、私たちのバスの隣が優勝した駒澤大学の父母会のバスだったというご縁で、応援フラッグ(旗)の“お福分け”の余得に与るという“サプライズプレゼント付き”の参宮となりました。

 最後に、本稿の題名に用いた言葉は、五代宗和様の“造語”です。海外からの来客に対して「把和游」とともに染筆されたのが、御神詠「有り難きまた面白き嬉しきと みきをそのうぞ誠なりけれ」の「みき」を元にした「三㐂游」でした。

 末筆ながら、還暦に際して多くの方々より祝意を賜りましたことを、あらためて衷心より御礼申し上げます。