“神格尊重”
─『生命尊重ニュース』への寄稿文─
教主 黒住宗道

 「うちの嫁のお宮さんに灯がともった」
かつて、先代教主である父が出雲地方で耳にした「嫁の妊娠」を伝える言葉に、わが国の伝統的な生命観が込められているように思います。「お宮に『ひ』がともる」から「ひと」。言霊幸わう国ならではの味わい深く温かい大和言葉から、「人の命は天からの授かりもの」であることを理屈抜きに教えられます。

 江戸時代後期の国学者足代弘訓公から「神道の教えの大元」と称された黒住教では、教祖宗忠神の説いた「人は天照大御神の分心をいただく神の子」を教えの基本として、全ての人に内在する神性を尊び重んじるという意味で“神格尊重”を旨としています。

 「人の心の中心(芯)に心の神として鎮まる天照大御神の分心」を痛め損なわないように、心を以って心を養い、心を活かして心を用いる大切を説いた宗忠神の教えは、明治の頃から“養心法”・“用心法”と称えられました。それは、「現在只今を如何に陽気に感謝して生き切るかを教えた『日の教え』」です。

 宗忠神の教えの全てが「日の教え」ですが、冒頭の日本古来の生命観そのものであると伺える言葉が、「人は『日止まる』の義。『日と俱にある』の義」です。雲や霧が日の光りを遮るように、心中に湧き上がる罪(積みつもる塵芥)や穢れ(大陽気の枯れ)を祓い清めることこそが一大事で、「祓いは神道の首教なり」と説いて「心の祓い」を繰り返して教えました。

 そして、「神人不二」・「神人一体」を確信して、天地の誠を尽くして生き切る「生き通し」を教えました。

 私は、「いのち」は「ひのち」ではないかとさえ思っています。かくも尊く掛け替えのない天からの授かりものが人の命(生命)であること、自分の都合で勝手に扱えるものではないことを、現代の世に生きる人々に教え示す責務を痛感する昨今です。

 これは、“いのちは授かりもの”、“お腹の赤ちゃんも社会の大切なメンバー”を訴えて、昭和五十九年(一九八四)の設立以来、様々な啓蒙活動を展開してきた「生命尊重センター」の機関誌『生命尊重ニュース』に寄せた一文です。現在の代表者である元NHKエグゼクティブアナウンサーで神職(千葉県白子神社他の宮司)の宮田修氏が、別掲のように先月久々に神道山に参って御日拝のおかげを受けられました。前晩の懇親の席で伺った様々な活動は、コロナ禍で困窮する妊婦さんと胎児への支援や、今年度中に日本でも承認されるとの見方もある「経口中絶薬」に対する不許可申請署名運動等、「胎児も一人の人間」の信念に基づいたお腹の赤ちゃんとお母さんを守り応援する諸々の取り組みでした。

 働く女性の権利を最優先した「胎児に人権はない」という過度の主張に対しては明確に異議を唱えたいと思いますが、私は「現代社会における女性の在り様を総括的に語ることには慎重であるべき」との考えのもとに、実は原稿執筆とともに講演の依頼も受けたのですが、まずは私たちの信仰に基づく人間観、すなわち「ご分心論」を機関誌上に紹介させていただきたい旨を申し上げて、冒頭の「“神格尊重”」の寄稿となりました。

 以前に著した小冊子シリーズ「黒住神道 ─いのちの親の七光り─」の中の一冊「The Sun Century ─サン世紀を迎えた日拝の宗教─」で、
 「天照らす神と人とはへだてなく すぐに神ぞと思ううれしさ」(御文一四二号)
をいただいた項目(十六-十七頁)の締め括りに、私は次のように記しました。
  「純国産の最古の宗教として、例えば『生命倫理』や『個人の尊厳やアイデンティティー(自己の存在証明)』といった現代社会の諸問題を語る上でも、欠かせない拠り所にさせていただけるのがこの御教えです」

 結果的に、「生命尊重センター」の取り組みに賛同できる(というより賛同すべき)事柄は多いと思われますが、あくまでも教祖宗忠神が説き示された本教の神観・人間観に基づいて一つひとつ判断することが大切です。かつて、「人は神の子、拝み合い」との修行目標が旧大教殿に掲げられていたのを子供心に記憶していますが、今も互いに二拍手して挨拶する私たち黒住教の道づれ同士の“習慣”等も紹介しながら、いずれ講演依頼もお受けしようと思っています。

 宮田宮司が「もっと宗教教団との協働を模索すべきであることは分かっていたものの、今まで少し慎重に距離を置いてきました…」と話されるのを、「私たちも、正真正銘の宗教教団ですよ」と笑って応じながら、本年黒住教が当番教団である「教派神道連合会」の次回定例理事会にお招きして、活動報告と賛同依頼の挨拶をしていただく運びとなりました。

 ところで、先月号の本稿で私事ながら「“更新節”を迎えて」と題して還暦の誕生日を迎えることを紹介したところ、多くのお道づれ、教会所、婦人会の皆さま方から次々に祝意を賜りました。各位にあらためてご挨拶申し上げますが、この場にて心からの御礼を申し上げさせていただきます。まことに有り難うございました。

 先月十八日、御日拝後に教主公邸の御神前で両親とお祓いを上げて祈り、終わって「六十年前の今日、そして今まで、本当に有り難うございました」と両手をついて感謝の言葉を申し述べることができたことは、何よりの喜びでありました。

 “更新節”を待っていたかのように、教団内外での活動が盛んになってきました。なんと、一昨年に予定されていながらコロナ禍により延期され、昨年オンラインにて私の講演だけが配信された「日本統合医療学会岡山支部総会」が、「今年こそ、リアル開催します…」とのことで、あらためて基調講演の要請があり、まったく同じ話をする訳にもいかないので加筆・修正の作業を始めたところです。「生命尊重センター」との関わりを新たに加えられることを、有り難いご神慮と思っています。