二人の“今どきの逸材”に学ぶ
教主 黒住宗道

 昨年夏の“東京二〇二〇”の感動が冷めやらぬ内に、冬季五輪が中国・北京で始まりました。勝負に挑む世界のトップアスリートたちの、鍛え抜かれ研ぎ澄まされた技術・体力・精神力の凄さに、胸躍り胸打たれる毎日です。とりわけ日本を代表する選手に関しては、特集番組や記事を通して、これまでの軌跡や地道な練習漬けの日々が紹介され、感心するやら敬服するやらの連続で、“今どきの若者たち”から多くの学びと刺激を受けています。

 結果が明白なだけに、スポーツに限らず勝負の世界に身を置くアスリート(「勝負師」と表記したいところですが、「ギャンブラー(賭博師)」の意味合いが強いので控えます)の天才・逸材は、誰もが認めるスーパースターとして時代を超えた絶対的な存在ですが、本稿で私が“今どきの逸材”として特筆させていただく二人の若者は、すでに“異次元の存在”として紹介されることの多い、米国メジャーリーグで昨年の最優秀選手(MVP)に選ばれた二刀流・大谷翔平選手と、この度「王将戦」で四連勝して史上最年少で五冠を達成した棋士・藤井聡太竜王です。

 今や日本中で知らない人はいない二人の青年と面識があるわけでもなく、テレビや新聞・雑誌やインターネットで見聞きしている程度の私が、敢えて本「道ごころ」で語らずにはいられない理由は、二人に共通している(と思われる)勝負に挑む心が、まさに「道ごころ」と称えるにふさわしい心持ちだと感じるからです。

 誰もが指摘する二人の共通点は、若くして最高記録を次々と更新しつつも、驕り高ぶりを微塵も感じさせない謙虚さと穏やかさです。もちろん生来の性分もあるでしょうが、ドキュメント番組等を視聴すると、二人とも実は幼いころから大変な負けず嫌いで、勝ちへの拘りは非常に強いことが伺えます。“勝負師”なのですから極めて当然のこととは申せ、その事実を知るだけで驚いてしまうほど、我々が感じる二人に共通する印象・気配はまろやかで穏和です。

 例えば、「対戦相手には必ず敬意を払って」とか「平常心こそが大事」とか「常に楽しみ、全てを前向きに」などの、まず“正しい教え”が存在して、それを鉄則・流儀として歯を食いしばって守り通して道を究めようとする、いわゆる求道者・修行者のような厳しさ凄まじさが、なぜか二人からは感じられません。守るべきルールではなく、結果として二人の言動に自然と表れ出ているのが、いま例に挙げた“正しい教え”に示された在るべき姿のように思います。

 その発露の源は実に単純明解で、大谷選手は野球が、そして藤井竜王は将棋が世の中の何よりも大好きで、「もっと上手になりたい…」、「もっと強くなりたい…」の一念であるということ以外にはなさそうです。

 もちろんそれだけで、すなわち「何かを物凄く好きになる」だけで誰もが二人のような傑物になれるか…というと、そんなことはあり得ません。二人の物凄い点は、物凄く好きな野球または将棋に取り組む熱意と実践の物凄さです。

 大好きなことに懸ける熱意と実践の物凄さを、他のスーパースターたちと比べられるはずもありませんし、そもそも比べるべきではありません。それでも、「(二人は)何が違うんだろう…?」と思った時、結局のところ大谷選手は野球が、藤井竜王は将棋が、誰よりも何よりも只管純粋直向きに大好きなのだろう…としか思えません。

 勝ちへの執着以上に「大好きだから、もっと上手く強くなりたいから」、負けた時に「どうして敗れたか」を探求したい気持ちの方が、もしかすると悔しさより大きいのかもしれない…と思います。同じように、「勝負自体が大好きで楽しいし、もっと強くなりたいから」、真剣勝負させてもらった対戦相手は掛け替えのない存在で「よくぞ相手をして下さいました」と敬意・感謝の対象以外にないのかもしれない…とも思います。また、大好きな野球や将棋に出会えたことや、子供の頃から没入できる環境に恵まれたこと、もちろん“天賦の才”も、さらにはAI等の最先端技術が駆使できる今の時代も、彼らにとっては感謝以外の何物でもないのだと思います。結果として、二人の謙虚で穏和で誠実な言動に表れているのではないでしょうか…。

 もしかすると、彼らでさえも「好きなだけではだめだ…」と痛感・実感する時が来るかもしれませんが、二人の“今どきの逸材”の道を求める純粋素直な心持ちを、「さもありなん…」、「そうだったらいいな…」と想像しながら、「有り難き、面白き、嬉しき」の三喜・三気の心で信仰の道を求め励みたいと深く感じさせてもらい、勝手な思いを綴らせていただきました。