九・一一から二十年
教主 黒住宗道

 米国同時多発テロ(九・一一)から二十年、アフガニスタンの米軍撤退とタリバンの政権奪取という激動の世界情勢の中、宗教新聞の老舗「中外日報」から、「『黒住教主しか語れないこと、黒住教主だから語れること』をぜひ執筆していただきたい」との要請を受けて教主様が寄稿された一文(九月十五日掲載)を、今号では紹介します。(編集部)

 平成十三年(二〇〇一)十月三日、黒住教武道館(岡山市)を会場に、RNN(人道援助宗教NGOネットワーク)主催の緊急シンポジウム「イスラム ─その平和の教え─」が、宗教法人日本ムスリム協会の樋口美作会長(当時)を講師に迎えて開催されました。RNNは「祈りに基づく行動と、行動を伴う祈り」を共通理念に、主に岡山県内の諸宗教者が心ひとつに人道援助活動を行う連合体で、毎月一回の定例会で意見を交わしながら二十五年の歩みを重ねています。九・一一直後の定例会で衆議一決したのが、「いま我々が発信すべきは、イスラームの正しい理解」でした。世話役の事務局長である私が直ちに樋口氏に電話で依頼して、結果的に、米国によるアフガニスタン・タリバン政権への武力行使の前に行われた唯一の“諸宗教によるイスラーム公開講座”として実現の運びとなりました。

 サミュエル・P・ハンチントン著の『文明の衝突』の影響もあって、人々のイスラームに対する誤解と不安が渦巻く中、樋口氏は「ジハード」の正しい解釈とともに原理主義と原理主義過激派の違いを明らかにして、「アッラーは法(のり)を越える者を御愛でにならない」との教えを紹介した上で「自爆テロなどに走る過激派はイスラームではないとの共通認識をもっている」と強調されました。また、「排他的な印象が拭えない…」とか「対話の姿勢があるのか?」といった質問に対して、「コーランには『我々には我々の宗教がある。あなたにはあなたの宗教がある。宗教は強制してはならない』と明記されており、他の宗教も認めています。一方、これは認め、あれは駄目というのもはっきりしていて、協調性、融通性には欠けるという印象も与えるかもしれないが、それは生活そのものが信仰であり、イスラームに誇りを持っているから」と丁寧に応じられ、氏の誠実な人柄によってイスラームに対する印象は確かに和らげられました。

 講演の後、RNNメンバーの金光教、天台宗、カトリックの各宗教者が、私の司会で樋口氏と意見交換を行うパネルディスカッションを行いました。閉会に際して、氏は「『イスラーム信仰の安らぎや温もりを、そのまま話して欲しい』と頼まれ、諸宗教で温かく迎え入れてもらったことに心から感謝したい」と、わざわざ御礼を述べて下さいました。この日から、RNNの新たな仲間にイスラームが加わったことは申し上げるまでもありません。

 ところで、前年の西暦二〇〇〇年八月に、ニューヨークの国連本部に世界九十余カ国から千人以上の宗教指導者が集った「ミレニアム世界平和サミット」が開催され、神宮大宮司と天台座主を大代表にいただく「日本使節団」の幹事長に私が任命されました。この大役を全 うするために「万が一の場合の〝駆け込み寺〟」として頼みの綱にしたのが、当時世界貿易センタービル北棟九十階にオフィスのあった(株)中国銀行(本社・岡山市)ニューヨーク支店でした。世界の宗教者が国連本部で新たな千年の平和をともに祈り、「赦しと寛容」をキーワードとして真剣に語り合った奇跡的なサミットから一年後に、頼りにしていた天空のオフィスが、あの巨大なツインタワーが、まさか壊滅してしまうとは…。受け入れがたい衝撃でした。

 九月十二日朝、私は「日本使節団」結成の人選をお願いした「WCRP(世界宗教者平和会議)」と「世界連邦日本宗教委員会」の事務局に電話して、「できるだけ早く再びニューヨークに世界の宗教者が集って、イスラームの人たちとともに平和を祈り、その姿を世界に発信しなければならない!」と懇望しました。同じ思いの人が他にもいらっしゃったからでしょうが、十月二十三日から二日間、WCRP主催による「世界の諸宗教指導者による国際シンポジウム」並びに「テロ犠牲者追悼と平和への祈りの集い」がニューヨークで開かれ、私も出席させていただきました。九・一一の翌月に世界の諸宗教指導者が、「イスラーム圏とキリスト教圏の争いにしてはならない」というメッセージをニューヨークから発信し、当地最大のイスラーム施設であるイスラミックセンターでの平和の祈りとグラウンド・ゼロ最寄りのセントピーターズカトリック教会での追悼式を伝えるニュースが、世界中に配信された意味は大きかったと思います。

 翌二〇〇二年一月に、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の呼び掛けによりイタリアのアッシジで開催された「世界平和のための祈りの集い」の案内を受けたので、私は差し出がましいと思いながら行動を起こしました。「ローマ法王、初のモスク訪問」のニュースが世界を駆け巡ったのは二〇〇一年の五月のことでした。ダマスカスのウマイヤ・モスクを訪問したヨハネ・パウロ二世法王を迎えたシリアのイスラーム最高権威者(グランド・ムフティ)のアフマド・クフタロ師を存じ上げていたので、「グランド・ムフティからのメッセージをローマ法王に届けたい」という手紙を第一秘書のファーロック・アクビック師に送ったのです。すると、数日後に「世界の宗教指導者および信者の方々が、手を携えて真剣に真の平和を目指して力を合わせられますように」とのクフタロ師の言葉が明記されたメールが届きました。この貴重なメッセージを、どうやってローマ法王に届けようかと思いましたが、あっけなく実現の運びとなりました。ローマで私を待って下さっていたのは、当時バチカンで教皇庁教育次官であった元上智大学学長のヨセフ・ピタウ師で、食事の席でメッセージのことをお話しすると、「明日、私が教皇に届けましょう」と事も無げに言って下さったのです。

 実は、平成二十九年(二〇一七)八月に開催された「比叡山宗教サミット三十周年記念 世界宗教者平和の祈りの集い」に招かれたアクビック師と再会して、クフタロ師のメッセージが記されたメールをお見せしました。熟読して師は当時をはっきり思い起こされたようで、メッセージがローマ法王に無事届けられたことを、改めて喜んで下さいました。

 世界の諸宗教指導者の努力と連帯によって、短絡的な「イスラーム圏とキリスト教圏の文明の衝突」という誤解と不安は杞憂に終わりましたが、「テロとの戦い」の名のもとに展開された争いの歴史は泥沼化する一方です。

 平成十四年(二〇〇二)三月二十三日、金光町民会館(岡山県)を会場に、金光教平和活動センターとRNNの共同主催による公開講演会「救いの大地 ~アフガニスタン復興への歩み~」が、ペシャワール会※の中村哲現地代表(当時)を講師に迎えて開催されました。米国による報復攻撃によりタリバン政権が崩壊し、暫定統治機構が樹立され、東京で復興支援会議が開催されて間もない頃のことで、行く末を案じる中村氏の言葉は、二十年後の今も深く胸に刺さります。

 ●カブール陥落後、世界のメディアは一斉にブルカを脱いだ女性の姿を映して、タリバン政権からすべてが解放されたように伝え、世界各地からNGOが支援に駆けつけて活動し、東京復興支援会議で解決したように伝えているが、解放されたのは売春の自由、麻薬を作る自由で、無秩序の状態。タリバン時代の方が百倍マシで、現地は依然厳しい状態。
 ●少なくとも、この一世紀以上かけて確立されたアフガニスタンというアイデンティティは決して外国人が崩してはいけない。
 ●タリバン運動というのは、また復活するだろうと思う。ある意味でアフガン社会のエッセンスのような政権だったので、必ず何らかの形で復活すると思っている。
 ●今回の講演に招かれて私が最も嬉しかったのは、いろいろな宗教を超えて、大切なものに向かって一致して取り組まれているということで、これがいま一番世界で求められているものではないかと思う。

心ひとつに、ともに祈り行動する宗教者であり続けたいと思っています。