日々新たに
教主 黒住宗道

 今月号から本誌「日新」が一新されました。あらためて、「日々新たに」と題して、この新生なった誌上で心新たに“道のこころ”を述べさせていただきます。

 今年も早後半を迎えましたが、一年の前半を祓い清める神事が、「水無月の祓い」とか「夏越の祓い」と称され“茅の輪くぐり”で親しまれてきた「大祓大祭(大祓い夏まつ り)」です。また、一般的にはあまり知られていませんが、大晦日には一年間の罪・穢れを祓い清める「大祓除夜祭」が厳修されて新年を迎えます。さらに、月毎では「一日、十五日の神様詣で」の伝統が各地で重んじられてきました。申し上げるまでもなく、心改まって新しい月を迎え、中日に際して心新たに後半に臨むことが大事にされてきた文化・習慣でした。宗教学的には「神道には教義がない」と言われますが、年間の神事・祭典を通して守り続けられてきた“無言の教え”ともいうべき価値観があり、その最たる思想が“祓い”です。

 そこのところを、教祖宗忠神は「神道は祓いの一言に在り。祓いは神道の首教なり」と御教えになり、「心の祓いが肝要」そして「時々刻々常祓いに祓えよ」と、自分自身の“心の常の祓い”の大事を繰り返して説かれました。元より「人は皆、天照大御神の分心(わけみたま)をいただく神の子」との教義をいただく私たち黒住教信仰者(お道づれ)は、「気づかない内に、心中に積み積もって大陽の気を枯らす罪・穢れを祓い清めることで、本来の清浄で新鮮な生々発展の元の気(活気・陽気:生命力)が喚起され、陰気・邪気・病気も快気・本復する」ことを素直に信じて受け入れることができます。「祓うべきは我が心」ということが理解できると、「『祈りは日乗り』と御教えいただいた日々の祈り、とりわけお祓い(大祓詞)を上げる(唱える)こと、そして“ありがとうなる”という徹底感謝につとめること、さらに人に社会に〈奉仕の誠〉を尽くすこと」という、黒住教信仰の主たる実践が全て自らの心の祓いのための修行であり、自他ともに救われ守られ導かれる開運の道であることと確信でき、信仰生活に一層気合が入るものです。「天照らす神もろともに行く人は 日ごと日ごとにありがたきかな」と教祖神が詠まれたように、「有り難い!」の連鎖による“相乗効果”を実感するお道づれに支えられて、本教は二百年以上の歴史を重ねてまいりました。

 私は、この新生なった「日新」を手にした皆様に、“気分一新”・“心機一転”の絶好の好機を取り逃すことなく、何としても“日の御蔭(おかげ)”を受けていただきたいのです。

 このように申しますのも、世の中は二年目を迎えたコロナ禍の真っ只中にあって、誰もが心身ともにくたびれています。我慢の限界や不安や諦めや愚痴や不満等々、ありとあらゆる“罪・穢れ”が、もしかすると新型コロナウイルス以上に蔓延しています。そのウイルスはというと、変異株と呼ばれる“進化”によって強力度を増し続けています。「ワクチンが行き渡れば“鬼に金棒”」ならいざ知らず、“いたちごっこ”が続く可能性も指摘されるワクチン接種が“最後の切り札(正しくは「最後の手段」)”で、本当に良いので しょうか…?

 私は、公のコロナ対策を批判しているのではありません。それどころか、日夜懸命の業務に追われている医療従事者や行政担当者をはじめとしたコロナ対応関係各位の負担を軽減するためにも、ワクチン接種だけを“唯一の頼みの綱”にするのではなく、私たち一人一人が今できる最大限の対策として「祓い」の実践を、今あらためて教主として訴えておかなければならないと考えるのです。

 そもそも「手洗い・消毒」や「マスク着用」が物理的な“祓い”なのですが、同様の重要度で実践を呼び掛けたいのが“心の常の祓い”です。

 先述しましたように、片やウイルスは強力度を増し、片や私たちはくたびれています。これではコロナに付け入る隙を与えてしまいます。やはり基本は「毎朝毎朝、生まれかわった心地で日拝をせよ」との御教えの如く、まさに「日々新たに!」を毎日一所懸命に心掛けることです。「こんなに頑張っているのに…」とか「一体、いつまで続くのか…」という気持ちを、どうにかして切り替えなければなりません。毎朝の散歩でリフレッシュしている方も多いと思いますが、朝の御光に手を合わせて感謝の祈りを捧げる「御日拝」をつとめて、一人でも多くの方におかげを受けていただきたいのです。

 そして、理屈抜きに「祈り」のおかげを受けていただきたいという思いから、あえてお道づれ以外の方にもお勧めしたいのが「お祓い(大祓詞)」を上げることです。飛沫対策への配慮が必要ですが、“言霊幸わう遥か古”より先人たちが神に祈る際に唱えてきた「お祓い」の神徳(霊力)は確かに存在します。私たちの心を祓い清め、ウイルスを祓い鎮めていただけると信じて、一本でも多くのお祓いを上げましょう。(「大祓詞」は黒住教学院のホームページから入手できます)

 また、ちょうど一年前の本稿(令和二年七月号)で提唱した「今こそ、ありがとうなろ う!」の必要度合いは、ますます高まっています。喜ばしいことは素直に有り難く、当たり前の有り難さに有り難く、さらに、難儀なことさえも有り難く…。「一切神徳(すべておかげ)」が、黒住教信仰の絶対的基本姿勢です。

 さらに、〈奉仕の誠〉が「祓い」の“特効薬”であることを、経験のある方ならどなたでも理解できます。「他者のため」が当然の不文律ですが、「人に必要とされている」という実感、すなわち「人に喜ばれることの喜び」は、最も祓われた時の満ち足りた心境です。

 列記すると実に当たり前のことですが、自分自身のペースで心掛けてみて下さい。なお、自粛中でもできる〈奉仕の誠〉として提唱したのが、先月に記した「ありがとうございます運動」です。「日新」のリニューアルを心の祓いの好機として活用して、同じワクチンを受けるにしても「よし、これで鬼に金棒だ!」ぐらい意欲的に立ち向かっていただきたいものです。

 くれぐれも、お大事に! ご安全に! お元気で!