「心の神を大事につかまつり候えば これぞまことの心なり
教主 黒住宗道

 猛暑の夏も感染の不安に駆られながらの日々でしたが、ウイルスが一層活発になるという冬を迎えました。未だ収束の兆しの見えないコロナ下の禍中、あらためて心よりお見舞い申し上げます。

 当「道ごころ」では、本年四月号から六月号、そして八月号から十月号と、合計半年間も月ごとの執筆を休止して、「永遠の“今”を生きる」と「祈れ、薬れ」と題した講演原稿を連載させていただきました。コロナ禍というかつてない状況下にあって、「死生観」そして「医療と宗教」という重要な主題で、教祖神の御教えを共に深く学ぶことができたことは、何よりのご神慮であったと感謝しています。

 久々の“書き下ろし”による今月の「道ごころ」は、まさに尊いご神縁をいただいた田中節三さんとの出会いについて紹介します。

 数年前に「岡山で地産バナナを栽培している人」として紹介された新聞記事を通して初めてお名前を知り、全く独自に開発した生産方法を特集したテレビ番組を見て私の記憶に鮮烈に刻まれていた「田中節三」という方から、突然にメールが届いたのは、今年一月十三日のことでした。デジタル化によるネット社会ならではの出会いでしたが、「黒住教主」として発信している“宛先”に、複数の写真とともに「小生は岡山で『もんげーバナナ』を開発栽培しております田中節三と申します。よろしくお願い申し上げます」という電文が送信されてきたのでした。

 セキュリティー(安全性)には細心の注意を払わなくてはならない時代ですから、見知らぬ人からの連絡には基本的には応じないことにしていますが、「このメッセージは大丈夫…」という直観を得て返信文を送って、「近いうちに、ぜひお目に掛かって話を聞かせていただきたい」と、私の方から申し出ていました。

 コロナ禍で延び延びになっていた面会話は、去る八月三十日に実現の運びとなりました。宗忠神社宮司である弟の忠親の運転で指定された場所に行き、田中さんの車に乗り換えて最初に訪れたのが、岡山市南部に開けた水田地域に突如現れたバナナとパパイヤの畑でした。いくら残暑の厳しい八月末とはいえ、目の前にあるのは、たわわに実った露地イチゴならぬ、露地バナナと露地パパイヤです。実物を目の当たりにしながらも、俄かには信じがたい顔をする私たちに、「五月末に種を蒔いたのが、三カ月でこの状態です」と、事もなげに話す節三さんでした。

 「暑いですから、詳しい話は家で…」とお宅に案内されて、実に美味しいバナナ・ジュースをいただきながら、今までの研究成果が放送されたテレビ番組やビデオや写真を通して説明を聞きました。とにかく驚きの連続で、口なおしに出されたコーヒーをいただくと「岡山で栽培したコーヒー豆で淹れました。深みのある良い香りでしょう?」、お茶受けのチョコレートを口にすると「それも、岡山産のカカオで作りました」、さらに「将来の食糧危機への対策として、海外からの協力要請が相次いでいて、現在、シベリアやヒマラヤ等の寒冷地での小麦栽培の成果も出ています」等々、話題の尽きない数時間でした。

 「凍結解凍覚醒技術」と称する田中さんが全く独自に開発した唯一無二の理論を私が説明できるはずもありませんが、「生命誕生以降も地球は何度も極寒の氷河期を経験しているにもかかわらず、この地球上から生命体が絶滅することがなかったという事実を、すべての生物は遺伝子レベルで記憶しているはず…」という自説をひたすら信じ切って、四十年間もの研究と実験に明け暮れた結果、「数カ月かけて“生きた状態”で氷点下七十度の凍結状態を経験させた植物の種子を再び数カ月かけて解凍させることで、潜在する絶大な生命力を覚醒させることができる」という独自の技術として完成させたのでした。“生きた状態”で氷点下七十度まで下げ、再び常温に戻す技術と理論も説明して下さいましたが、私にはまさに珍紛漢紛でした。

 生活を支える“本業”が順調であったことと、四十年もの長きに亘って研究と実験に没頭できた得難い環境に恵まれたことが「何よりのおかげでしたね!」と称えながら、多くの人たちから「そんな常識外れの理屈がある訳がない!」と散々な言葉を浴びせられながらも、ひたすら初念を貫いて「ある意味で病気ですゎ…」と平然と言ってのける田中さんに脱帽したことです。

 実は、節三さんが私宛にメールを下さったのは、すでに世間に認められている独自技術の成果を披歴するためではなく、今年正月明けに体験した神秘的な出来事を「『黒住教主』だったら理解してくれるだろう…」と思ったからでした。

 一月十三日に送られてきた複数の写真は、自宅の寝室から撮った隣の家との間のスペースに御姿を現した旭日で、強烈な御光りが写し出された“その日の初日の出”でした。

 昨年十一月三十日に脳梗塞で倒れ、意識不明の中さらなる脳梗塞と二度の心臓停止という重篤・危篤を乗り越えて、自宅療養まで回復したのが今年一月十二日で、翌朝、久々の自宅で眩い光線に目が覚めて無意識にスマホで写真を撮ったところまでは微かに覚えているものの、そのまま意識を失い、再び目覚めると心身ともに非常に楽になっていて、その時を境に全快したというのです。

 「日の出の太陽の光を受けて奇跡を体験した方として黒住宗忠様のことを知っていたので、そちらの教主様だったら私の不思議な体験を信じてもらえるのではないかと思いました…」と胸の内を明かす節三さんに、私は次のように話しました。

 「今日は驚かされてばかりですが、さっきまでの話ほど不思議だとは思いませんよ。不思議というより、実に有り難い体験をなさいました! きっと貴方自身に内在する生命力が最大限に引き出されて、奇跡的な結果として本復のおかげをいただかれたのでしょう…。私たちは、貴方が体験されたような『まさに奇跡』というようなおかげも含めて、『今、ここ』に生かされて生きていることの掛け替えのなさを心から感謝できるように、毎朝の日拝をつとめています。今朝も大感激の中に“今日の初日の出”を迎えて、私たち一人ひとりの本体たる心の神の御開運を祈りました。人皆に潜在・内在する生命力の源こそ、お日の出の太陽に顕現する天照大御神のご分心であると確信している私たちにとって、今日の貴方の話は、御教えを実証して下さったとしか思えないのです」。

 力持ちの弟が一緒でしたから、「穫れすぎて困っている…」という、零下七十度を体験した種から育った大きなスイカを二つ、お土産とともにいただいて田中さんのお宅を後にしました。「岡山駅構内の専門店の宣伝マンにはなれませんよ…」と直接話しているので、「もんげーバナナ」のPRをするつもりはありませんが、「人皆の心の神の御開運」を日々祈り、「天照らす神の御徳を取り次ごう 互いの誠を活かし合って」と呼び掛けて、コロナ禍の今こそ人々の“元気を喚起”したいと願っている私にとって、実に有り難くも尊いご神縁をいただいたと感謝しています。

 最後に、「御文一四七号」のおかげをいただいて下さい。

まことに道は、むずかしきことは少しもござなく、かねがね申し上げ候通り、すぐに 天照大御神なり。さすれば生き通しなり。昼夜のわかちなく生きさえすれば、みな大御神の道なり。ただ少しの間も、ゆるみなくけがれぬよういたし候えば、何事も有り難きことばかり。時に一首御笑い 有り難きことのみ思え人はただ きょうのとうとき今の心の かねがね申し上げ候通り、わが本心は天照大御神の分心なれば、心の神を大事につかまつり候えば、これぞまことの心なり。思えば思えば心一つにて自由自在と思えば、この上もたのもしき御事なり。