「祈れ、薬れ」 ③
教主 黒住宗道

 教主様には、今秋に開催予定であった日本統合医療学会岡山支部総会・学術講演会の講師を依頼され、「祈れ、薬れ」と題した講演原稿をまとめられました。残念ながら、新型コロナウイルス感染症の影響で中止が決定されましたが、禍中の今こそ、お話の内容を深く学ばせていただき、全ての方に通じる教祖宗忠神の御教えの有り難さを、“活かし合って取り次いで”まいりましょう。三回に分けて要旨を掲載してきましたが、今月が最終回です。(編集部)

 ところで、今朝も“今日の初日の出”を拝んできました。一年三百六十五日、一日として同じ日の出はありません。時間も昇る場所も天候も、毎朝異なります。山の端からの一条の閃光が差し込んでくる瞬間や、霧や霞の向こうから浮かび上がってくる正真正銘の“日の丸”を拝した時や、厚い雲を乗り越えて届く眩い御光りに包まれた時の感動に勝るものはありませんが、旭日を直接目の当たりにできなくても、一気ににぎやかになる鳥たちのさえずりや、ヒンヤリと冷たい出来立てホヤホヤの酸素たっぷりの新鮮な空気や、雲に照り返る光と影のページェント(野外劇)が、日の出の時を知らせてくれます。「雨の日や雪の日は休むんでしょう?」と尋ねられる度に、「目に見えない神様を信じているくらいですから、雲の向こうであっても、お日様への挨拶は欠かしませんよ」と答えますが、「今日の日が、たった今生まれた!さあ、今日も張り切って生きよう!」と、毎日爽快にスタートが切れるのは、難行苦行の修行ではありません。歓喜・感激・感謝の“元の気・元気を喚起”する命の充電の実践です。

 この、私たち黒住教にとって最も大切な祈りである「日拝」の、その中心をなすのが「御陽気修行」です。

 冒頭に述べましたように、天照大御神を主祭神とする今村宮の神職の家に生まれ育った宗忠ですので、幼い頃から一般の人よりは日の出に手を合わす機会は多かったと思いますが、毎朝欠かさず「日拝」を行っていたという記録はありません。ただ、物心ついた頃から、毎朝両親と東天を仰いで柏手を打っていたと伝えられています。これはまた、古来、日本人の一日の始まりでした。「天命直授」という黒住教立教の瞬間である「日拝」と、そこに至る「第一次」、「第二次」と称される節目の「日拝」を通して、宗忠が正に“直授した天命(天の御命)”により、日の出を迎え拝む「御日拝」は私たちにとって最も重要な祈りになりました。

 まず「第一次の御日拝」は、幼い頃から親孝行一筋であった宗忠にとって“全て”であった両親を、流行病により一週間で相次いで失った悲嘆が原因で肺結核に侵され、生死の関頭に立った際に、今生の別れに拝んだ日の出でした。「最期の日拝」の覚悟で迎えた旭日に亡き両親の姿を感じ取り、このまま死を迎えようとしていることが大変な親不孝であることを深い悔悟とともに悟り、心の在り方・用い方を大転換することによって危機を脱した「日拝」でした。この「第一次の御日拝」こそ、本日私がお話ししてきた宗忠の「心なおしの道」の原点になっている、黒住教の教えの根幹です。

 その後二カ月ほどして、それまで徐々に回復しつつあった宗忠が一気に病を克服して全快したのが「第二次の御日拝」で、それ以降、毎朝の「日拝」が勤行されるようになりました。

 そして、宗忠自身の誕生日でもあったその年、すなわち文化十一年(一八一四)の冬至の朝、大感激の中に迎えた朝日こそ、黒住教立教の「日拝」でした。後に「天命直授」と称えられるその瞬間こそ、東の空に昇る旭日が「太陽の塊」になって宗忠の胸元に迫り来て、思わずゴクンと呑み込んで下腹に鎮めた「最初の御陽気修行」でした。

 本来ならば、この一連の件は宗忠について語る上でのクライマックスなのですが、今紹介すべきは「御陽気修行」についてですので、もっとお話ししたい気持ちをグッと抑えて、概略説明に止めさせていただきます。

 要するに、黒住教にとって最も大切な祈りである「日拝」の、その最も大切な時が「御陽気」をいただく時間、すなわち「御陽気修行」なのです。お気づきになったかもしれませんが、本日の話の最初の頃に紹介しました「道の理」の中心も、「御陽気をいただきて下腹に納め、天地と共に気を養い…一心が活きると人も活きるなり」の一節です。

 腹式呼吸によって臍下丹田に心を鎮める鎮魂行は万道に共通する奥義のようですが、最後の一口を、水を飲むように呑み込む「御陽気修行」は、自分めがけて飛び込んでくる「太陽の塊」を思わずゴクンと呑み込んだ宗忠ならではの教えの実践です。「御陽気」すなわち「太陽の御光り」を、下腹に鎮まる「心の神」たる「ご分心」にお供えするのが 「御陽気修行」なので、空気が入るのはあくまでも結果です。ただ、結果とは申せ、空気を呑み込むので「“呑気法”という呼吸法」として昔から知られていました。具体的に申せば、「御光り」を、肺に通じる気道ではなく、胃腸に通じる食道を通して、下腹という意味では小腸にまで届けるくらいの心組みでゴクンと呑み込むのです。何度も繰り返すうちに、下腹が張ってきます。昔の先輩は、上と下から爆音とともに放出していたようですが、現代においては礼儀正しく静かに呼気とともに排出します。

 それでは、ここでちょっと実際にやってみましょう!まず、腰骨を立てて肩の力を抜いて姿勢を正して下さい。そして、最初は必ずお腹を凹ませながら口から静かに息を吐き切ります。「吸呼」ではなく「呼吸」、すなわち息は吐く(呼気)が最初です。因みに、最 期の時は正に「息を引き取る」とのこと…。そして、臍の下を前に突き出すように腹を膨らませると自然と入ってくる息を鼻から吸って…、最後に大きく口を開いて水を飲むように一口ゴクンと呑み込みます。そのまましばらく心を鎮めて、またお腹を凹ませながら口から静かに吐く。これを何度か繰り返すと、心が落ち着き、魂というか本体が鎮まってきます。そのうち、吐く息につられるようにお腹の中の空気が上がってくるので、そこで喉の奥を開くようにして静かに呼気と一緒に排出します。最初の一口が呑み込めるまで少し難しく感じられるかもしれませんが、一度コツを覚えると簡単です。どちらかと言うと、呑み込む時よりも静かに吐き出す方が難しいかもしれません。いかがですか? そもそも腹式呼吸ができないという方もいらっしゃると思いますので、今晩ベッドに横になった時に、仰向けで深呼吸を繰り返して下腹で息をする感覚を意識して、それから呑み込む稽古をしてみて下さい。寝ている時、また赤ん坊の時は、誰もが腹式呼吸をしているのです。

 「御陽気修行」ができるようになったら実感されるでしょうが、下腹、すなわち小腸と大腸の辺りが実に活発になります。本日は統合医療学会の皆さまに向けての話なので、後ほどいろいろ教えていただきたいと期待しておりますが、「小腸は第二の脳」とか「小腸は免疫のコントロールセンター」とか言われ、「腸内フローラ」という言葉も広く知られるようになりました。現代医学に証明してもらっているような有り難さを感じながら、私たちの信仰の実践による下腹の活性化が、間違いなく心身の健康に効果的であることをあらためて確信しています。「日に二百回、三百回と、有り難く御陽気をいただきて、下腹に納めよ。いかなる難病業病も治るなり」、「怠らず御陽気を吸えよ。─下腹で息をせよ。─長息をすれば長生きをする」と宗忠は説き、「下腹に陽気満つれば身はおろか心も強くいさましくなる」という直門高弟の詠んだ短歌を大切に学び実践しています。

 実は、宗忠在世の頃から「日拝修行」と「お祓い修行」と「御陽気修行」を「三大修行」(三つの大切な修行)と称して、門人たちは日々励行してきました。先ほど来お話ししています大祓詞を、息の続く限り長く下腹から声を出して朗々と上げる(唱える)のが「お祓い修行」で、紛れもない「祈り」の行ではありますが、この修行も下腹の活性化に効果抜群です。そして、お日の出の前後に「お祓い修行」と「御陽気修行」をつとめるのが 「日拝修行」です。「黒住教の修行は、心身の健康のための実践」と断言できます。

 そろそろ、私の話を締めくくらせていただく時間になってきました。

 昨年、本日の講演依頼をいただいた時には想像もしなかった「新型コロナウイルス感染症」が席巻し、世界中は不安と恐怖に陥りました。「今こそ、『心配はせよ、されど心痛はすな』の御教えを旨に、『日乗りなる祈り』、『本体の祈り』に徹する時!」との思いを強くもって、一日も早い終息と健全なる日常生活の本復成就を祈り続けてきました。どれほど科学技術が進歩しても、人の命を脅かす病そのものはなくならないのですから、生命力というか生きる力をいかに強め高めるかが益々重要になることは明らかです。祈りと医療がひとつになって治癒・本復効果を高めることを意味する「祈れ、薬れ」のニーズは、これからの時代に増す一方であると確信しています。その意味でも、私は「統合医療」の一層の発展に期待しています。本日の話が、今後の皆様のご活躍の一助になれば幸甚です。

 最後に、私たちが毎朝迎え拝む日の出の写真をご覧いただいて、私の講演を終わらせていただきます。なお、日拝は、どなたでもご参拝いただけます。日の出の十五分前までに、神道山上の日拝所にお運び下さい。ご清聴、まことに有り難うございました。(了)