「祈れ、薬れ」①
教主 黒住宗道

 教主様には、今秋に開催予定であった日本統合医療学会岡山支部総会・学術講演会の講師を依頼され、「祈れ、薬れ」と題した講演原稿をまとめられました。残念ながら、新型コロナウイルス感染症の影響で中止が決定されましたが、禍中の今こそ、お話の内容を深く学ばせていただき、全ての方に通じる教祖宗忠神の御教えの有り難さを、“活かし合って取り次いで”まいりましょう。今月から三回に分けて要旨を掲載します。 (編集部)

 本日の「医療と宗教」をテーマとした学術講演会で、「祈れ、薬れ」と題して話させていただくことを、大変光栄に有り難く思っています。

 本日、私がご指名いただいたのは黒住教教主という宗教者であるからですが、宗教学者や宗教評論家ではないので、他宗教との比較や宗教全般を俯瞰して総括するような、生命観や倫理観や霊魂観、また祈りや信仰の意味について解説することはできませんし、そのつもりもありません。あくまでも黒住教という教派神道の第七代教主として、私たちの信仰と教えの伝統に基づいた「心身ともに、元気に健やかに生きるための人の道」を紹介することによって、信仰のあるなしに関わらず理解していただきたい人の生き方と、信仰あればこそ受け入れられる人の生き方を聞いていただき、皆様方ご自身の人生を元気に生き切る上での一助になれば幸甚に存じます。
 (以下、「『永遠の“今”』を生きる」講演要旨と相似につき、[中略])

 宗忠の説いた教えは、新たな明治の時代の幕開けとともに、「養心法(心の養い方)」とか「用心法(心の用い方)」と称されて、当時の多くの人々に影響を与えました。ここに明治十四年(一八八一)発行の「神道黒住派諸先生講録 心の営養」と題された冊子がありますが、「日々の営みを養う」という「営養」が「心」に用いられているのが新しいというか、この令和の時代にもそのまま使えそうな題名です。

 ただ、その内容は「此一冊は教祖宗忠神の無形の養心法を無形の言語以て授け給ひ志を教子等の無形の霊魂に受得て又受得く無形の言語をかき記志て亦多くの人々の無形の霊魂に傳へらるる書なれば…(後略)」と、序文を読むだけでもかなり大変なので、これ以上は深入りせず、宗忠自身の平易な言葉を中心に話を進めたいと思います。

 以下に、「医療と宗教」というテーマに関係する宗忠の言葉を列記します。

○ この道は病なおしの道にあらず、心なおしの道なり。しかし、心のなおる便宜に病ぐらいのもののなおるは当然なり。これを不思議と思うこそかえって迷いなり。
○ 心をもって形を使う時は順にして、何事もなし。形のために心を使わるる時は逆にして、たちまち人の身に病を生ず。─ 病生ずれば、いよいよその病に心寄りて或は、苦しがり、或は、つらがり、只一筋に痛き所に心集まりて、ますます、病に鞭を入れるが如く、盛んになるものなり。
○ 形をもって心を使うゆえ形のために心を奪われ、終には、物を苦にして、病気にもなり、そこより、不生不滅の本主たるいきものの心を殺すなり。─ まことに、なげかわしき事なり。
○ この道は形をば病にまかせ、心は天照大御神と御一体と申す心になられ、今よりは心ほどはさっぱりと御平癒なされば、形も直におなおりなさるなり。
○ 病あれば気を屈せず、心を動かさずして、身を安んじ、よしと思う医者にかかれば薬もたちまち験あるべしと疑わず、深く大御神様を祈念しつつ、その命はことごとく天に任せ、一切苦悩を離れて養生すれば、百病も治らぬという事なし。
○ 病有る人々、世にながらえんと思わば、この身を病に捨遣わして、ただ一心に、日の神様を、日々に二度、三度ずつ日拝し、御陽気を下腹に納め、天地と共に気を養い、かの天心に叶いなば、いかなる難病にても、たちまち消え失せて、本の如くに立戻り、芽出度寿命を延ぶるものなり。
○ 只今、何ほどの難病、身に迫り、体を槍で刺さるる苦しみに逢うとも、身も、我も、心も捨てて、誠ばかりになりて、心をいためざる時は、その心はいきものなれば、自然とその病苦は去るなり。
○ 病は命を取らぬが、臆病がいのちを取る。
○ 病は神前に奉納して御神徳をいただいてお帰りあれ。
○ 大病のおかげを受ける時には、高い塀を飛び越える気に成れ。
○ 病を楽しむくらいの心を持て。
○ 陽気にして、常に面白く暮らせば、自然と生きてまいる。─ 陰気にして僅の事に心迫り、これではつまらぬ、あれではならぬと心痛してまいる時は、形を枯らして死に至るなり。
○ 心配はせよ、されど心痛はすな。
○ 形を保つは気一つなり。気屈し、心散乱する時は、形保ちがたし。
○ 邪気を受けねば患らう事なし。
○ 形は患らうとも、心に煩うな。
○ 病気は自分で治せ。
○ 病の治るを入口として道の奥に進め。
○ 鬼も蛇も皆斬りはらいいきものを養う人にいたつきはなし

 こうした宗忠の言葉は、参勤交代で藩主のお供をして江戸詰(在勤)であった門人の武士に宛てた本人直筆の書簡や、直接説教を聞いた直門の弟子たちが書き残した文章を整理した、孫弟子・曾孫弟子に当たる明治・大正時代の私たちの先人方の資料を参考にしたものです。文化・文政から嘉永年間という江戸時代後期、今から二百年ほどの昔の言葉ですが、古さを感じさせない普遍的で平易な教えであることを知っておいていただきたいと思います。

 さて、統合医療学会の専門家・研究者の皆さまの前で、“心と健康の関係”について学術的な講義をしようとは思いませんが、これまで紹介してきた宗忠の教えは全て、「人は、森羅万象一切の親神である天照大御神の分心を、心の神として自分の心の中心にいただいている神の子」という「ご分心」の確信に帰結します。

 霊魂や魂魄、また阿頼耶識とか根本識とか無意識などと称される、人の“いのち”の中 心・中核の存在は宗教や心理学の世界では欠かせないテーマですが、私たちは「日神の御陽気が凝結りて心と成る」=「天照大御神の分心」が教えの基本なので、天照大御神という「親」を抜きにして分心という「子」は存在し得ません。「分けた心」という名称からも明らかなように、単独・独立した存在ではないのが「ご分心」を理解する上で欠かせない点で、宗忠は「天照らす神と人とはへだてなくすぐに神ぞと思ううれしさ」と詠んで「神人一体」を説きました。私は「自分」という言葉も、何か共通する天地の真理に基づいているのではないかと思っています。

 ただ、「天地自然の親神と自分の心の神は一体」と言われても、なかなか正しく伝わるものではありません。だからこそ、宗忠は「神と人は二つ(別々)ではない」という「神人不二」を教え示すことによって、人々が納得して自分の心を本来の神の心に近付けようとする「心の養い方」であり「心の用い方」である「心なおしの道」を説いたのです。「天照らす神の御心人ごころひとつになれば生き通しなり」、「天照らす神の御心わが心ふたつなければ死するものなし」、「かぎりなき天照る神とわが心へだてなければ生き通しなり」、「天照らす神もろともに行く人は日ごと日ごとにありがたきかな」等々、私たちが「御神詠」と称えて日々唱和する教えの短歌にも、「そもそも『神人不二』である人が、『神人一体』を目指す」ことの大事が度々詠まれています。

 少し理屈が過ぎましたが、ここで「天照らす神の御徳」で始まる宗忠の詠んだ五首の御神詠を紹介します。

○ 天照らす神の御徳は天つちにみちてかけなき恵みなるかな
○ 天照らす神の御徳は限りなし受くる心に限りなければ
○ 天照らす神の御徳を知るときはねてもさめてもありがたきかな
○ 天照らす神の御徳を知る人は月日とともに生き通しなり
○ 天照らす神の御徳を世の人に残らず早く知らせたきもの
(以下次号)