「永遠の“今”」を生きる ②
教主 黒住宗道

 教主様には、母校である岡山県立岡山芳泉高等学校同窓会の支部で医師によって構成される「芳医会」主催による公開講座「実りある人生のためのエンディング講座」の講師を依頼され、「『永遠の“今”』を生きる」と題して講演をなさいます。新型コロナウイルス感染症の影響で、開催日が延期されたため講演前ですが、先月から三回に分けて要旨を掲載しています。お道づれの皆様には、黒住教信仰の普遍性を深く学ばせていただき、全ての方に通じる教祖宗忠神の御教えの有り難さを、“活かし合って取り次いで”まいりましょう。(編集部)

 何年か前にテレビ番組で、通称「幽霊寺」と呼ばれる寺院の住職が語っていた興味深い話があります。「当寺は、この幽霊の絵が有名になって多くの方が参られるようになりましたが、世の中、絵のような幽霊ばかりです。まだ来ぬ明日に手を伸ばし、過ぎた昨日に長い後ろ髪を引かれて、掛け替えのない今日の現在只今に立つ足がない…」。真面目な旅の番組でしたが、「なかなか辛辣なことをおっしゃる…」と驚きながら、「説き方は違えども、真理は一つ」と感心したものです。

 また、今から二十五年前に、黒住教が身元引受法人として十数年ぶりの来日を果たされたチベット仏教のダライ・ラマ十四世法王に直接尋ねて教えられたことがあります。輪廻転生を信じる宗教の長たる法王の気さくなお人柄に甘えて、私は移動中の車内で「前世のことを何か覚えていらっしゃいますか?」と質問しました。法王は、「ミチ(私のこと)、昨日の朝起きた時から寝るまでの全ての出来事を細かく間違いなく思い出せますか?」と問い返して、「細かく間違いなくは、とても無理…」と応える私に、「ほんの昨日のことでも覚えていないのに、生まれる前のことを覚えていると思う?」と微笑んで、「意識として覚えていないことを、私たちは確かに受け継いでいます。大切なことは、よき来世のために、この現世をしっかりと生きることです」と優しく教えて下さいました。

 本日の私の講演タイトルを、「『永遠の“今”』を生きる」とした理由を納得していただけると嬉しいです。

 「永遠の今」(独語:ewiges jetzt、英語 : eternal now)という概念は、ニーチェや西田幾多郎など名高い哲学者も論じた専門家の間ではよく知られるテーマです。素人の私などが知ったかぶりをして借用するべきではない専門用語なのですが、「肉体の死をもって全ての終わりではない」と信じる者にとって、使わずにはいられない言葉です。ただし、この言葉自体には、パスカルが説いたような“神の実在”とか“永遠の命”とか“死後の世界”といった神学的というか宗教的な意味合いは込められていないので、「永遠の時間の流れの中の今という一瞬」を端的に示した、率直に言えば無機質に事実のみを表現した言葉です。敢えて“今”と強調させてもらって「『永遠の“今”』を生きる」と私が題したのは、宗教者が申し上げるべきことではないかもしれませんが、「『実りある人生のためのエンディング』は、絶対に信仰がなくてはあり得ない」とは、私は思っていないからです。

 信仰によって「永遠の今」に救済の道が開かれると信じて疑わない心を持てることは、もちろん尊いことで、私自身は宗教者として信仰者として、いつか死んでからではなく、今ここに生きている時も常に守られ導かれていることを有り難く確信していますが、たとえそのように思わなくても、誰もが「永遠の今」に身を置いているのは明白です。誰もが必ず迎える人生の終焉の時に、自らの生きた証が“何らかの形”(もちろん物体の形の場合もあるでしょうが、ここでは目に見える存在としての形という意味で申し上げた訳ではありません)で受け継がれ、遺された人の心に生き続けると信じられると、人は「実りある人生のエンディング」を実感できるのだと思います。その“何らかの形”とは、心であり、思いであり、信念であり、志であり、生き方であり、足跡であり、実績であり、言葉であり、文章であり、作品であり、そしてもちろん、家族、子や孫・曾孫、また友人・仲間といった“何らか”であろうかと思います。

 “永遠の命”を信じなくても、人の“生きた証”は連綿と脈々と生き続けます。命は永遠の繋がりの中で受け継がれるものだから、人生は「道」と称されてきたのではないでしょうか。

 地縁や血縁が重んじられ、先祖代々の伝統・伝承文化が尊ばれてきた時代には、必然であり当然であったことが、個化・孤独化・無縁化の著しい現代社会において、軽んじられ、忘れ去られて、「人は繋がりの中に生きている」という当たり前を、こうしてあらためて確認しなければならなくなったのかもしれません。

 先ほどは、九期生の石原武士先生が心療科の医師の立場から「こころに寄り添う医療をめざして」と題して講演を行って下さいました。「人は、今までも、今も、これから先も、ずっと変わりなく繋がりの中に生きている」という事実を、現代社会に生きる人々に、とりわけ終焉の時を迎える現実を受け入れねばならない苦中にある方に、確認・確信していただいて、何とか平穏・安らぎの心を得てもらいたいと願う時、まさに「こころに寄り添う」が何よりも大切です。

 最近、少しずつ知られるようになってきましたが、「臨床宗教師」という名称をお聞きになったことはないでしょうか?

 ここ数年、いくつかの宗教系の大学でも講義が行われて資格認定が進んでいるようですが、その最初は今年で丸九年、すなわち十年目に入った東日本大震災の被災者支援活動がきっかけで、東北大学に作られた寄付講座に始まる「諸宗教の聖職者に与えられる共通資格」、それが「臨床宗教師」です。欧米、すなわちキリスト教社会で定着しているチャプレンに匹敵する宗教指導者の養成を目指して、私も理事の一人である(公財)世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会が多額の資金を寄付して、何とか軌道に乗り始めた宗教協力によるチャレンジの一つです。私自身は、その資格を有していませんが、実はスポンサーであるWCRPの担当責任者として最初から関わっていて、講師を務めたこともあります。一つの宗教に偏ると布教活動と思われて宗教者としての純粋な寄り添い・傾聴ができないという悩みと、ちょうどテレビで「病院でお経を唱えないでください」というドラマをやっていましたが、とりわけ仏教の僧侶の皆さんは病院に見舞うことさえも憚られるという現実を克服すべく、まだまだ課題はありますが、宗教者も「こころに寄り添う」ために頑張っています。

 幸いにして、私は今日のように外出時はスーツ姿ですし頭も丸めていませんから、入院している方を普通に見舞うことができますし、何と申しましても、本日の講師を指名されるような信頼(布教勧誘の心配がないという信用も含む)をいただいているので、「臨床宗教師」の名刺を持たずとも、ご病気の方に自然体で寄り添うことができています。

 実は、大震災の年であった二〇一一年八月に膵臓癌で亡くなった女性Oさんの最晩年を入院先で見舞っている時に、「芳医会」会長である三期生の池田弘先生が病室に入って来られて、互いに驚きながら言葉を交わしたことがあります。すでに末期医療の段階であったOさんの病床に居た私をご覧になったのが、本日の講師の指名をいただいたきっかけだったのかもしれない、と私は勝手に思っています。

 岩手県宮古市出身のOさんは、今とは比較にならないほど男性中心だったビジネス界においてバリバリのキャリアウーマンとして、生涯独身を通して東京で働き詰めに働いていましたが、二〇〇六年に膵臓癌が判明した時にはステージ4の深刻な状態でした。田舎で暮らす老母の為にこのまま死ぬわけにはいかないという決死の覚悟と、日頃の信仰から終の療養場所として黒住教本部神道山での生活を望み、毎朝の日の出を拝む日拝から始まる祈りと、岡山の病院への通院の日々を送って、最後は入院先の病院で亡くなりましたが、当初数カ月と宣告された余命を五年間生き切りました。

 ここで私は奇跡を強調するつもりはありませんが、私たちが最も大切な祈りの時として重んじている日拝に始まる新たな一日を毎朝迎えながら、前日に沈んだ太陽を再び翌朝に迎える不変の繰り返しの自然の摂理と、日一日に変わる季節の移ろいと一年を通して繰り返す生命の永続性を、本講演の前半に申し上げた黒住教の世界観、というか日本人の伝統的信仰観の中で自らの確信として深めるとともに、自分のありのままの闘病(病気との共生)中の姿が、同様の苦しい環境にある人々の生きる力になっているという生き甲斐を得て、奇跡的ともいえる日々を重ねました。元々頭脳明晰な方でしたから、体験を元に語る明快な“説教”からは、私も多くの事を学びました。彼女の、「どんな鎮痛剤も効かない痛みが、『有り難い!』という言葉を自分に言い聞かせるように繰り返すと鎮まる」という命懸けのメッセージは、「一切神徳」・「徹底感謝」の大切を学ぶ際の私たちの掛け替えのない教えです。大震災発生直前に「もうだめか…」という重篤な状況に陥りましたが、被災した老母が奇跡的に無事であったことを知った彼女が、まさに不死鳥の如くに蘇って、最後の半年間を生き切った様子を目の当たりにした感動は、私の忘れられない思い出です。すなわち、Oさんは今も私の中で生き続けています。(以下次号)