活かし合って取り次ごう!
“まること”の 丸い心 丸いはたらき
教主 黒住宗道

 黒住教教主を拝命した継承式において、「『まることの世界』の実現を目指して」と題した「告諭」を、大教殿の御神前で発表させていただいてから三度目の正月を迎えました。

 この間、本教立教当時の帝であらせられた光格天皇以来という二百二年ぶりの御譲位がなされ、新たな令和の御代として初めて迎えた新年である今年は、私たち黒住教にとって立教二百六年・神道山ご遷座四十六年、そして教祖宗忠神の“大還暦”であるご降誕二百四十年の庚子という芽出度い年です。干支の上でも「変化と新たな出発の年」といわれる本年を、四年後(すなわち、次のオリンピックの年)の神道山ご遷座五十年に向けて、心新たに気合を入れて道の誠を尽くす始まりの年としてつとめてまいりたく存じます。

 教主として最初に掲げた修行目標の要であった“敬神崇祖”は、これから先も不変・不動の私たちの信仰心の根幹(心の柱)です。その上で、いよいよ本年からは「告諭」に示した“まること”を互いの信仰生活の基本精神(モットー)として、「まることの世界」の実現のために実践・発信する黒住教の“学び徒”であっていただきたいと念願します。

 ここに改めて、「“まること”とは、調和と循環、そして広がり」と定義します。「天地自然は、本来『丸い状態』と『丸いはたらき』の内にある」とたびたび述べてきましたが、天照大御神の「一切を活かし育む」ご神徳の中にある「丸い状態」と「丸いはたらき」には、「より大きく、より広く、より明るく、より強く」といった生々発展の活力(教祖神は「活物」と御教え)が元々備わっているので、「広がり」の一言が必要であると判断しました。このことを踏まえて、本年と明年の修行目標である「活かし合って取り次ごう!“ まること”の 丸い心 丸いはたらき」を、共につとめてまいりましょう。

 “まること”をモットーにすると、きっと生き方が変わってきます。人生には好不調は付き物ですが、本来の調子(本調子)を順調とするか不調とするかによって、当然ながら不調時の対応は違ってきます。「必ず克服できる!」と挑めるか、「やっぱりだめか…」と端から腰が引けているか、現実に立ち向かう時点での心意気は単なる精神論ではなく、結果を左右するものです。また「元来の気は、元気か病気か?」も同様で、快癒力・免疫力を高める上で自律神経の働きが影響を及ぼすことは科学的にも明らかにされている今日です。子供だましの言葉遊びのようですが、それは毎朝日の出を拝んでいると益々確信を深める真理・道理です。たとえ厚い雲に遮られてお日様を目の当たりにできなくても、雲の向こうに朝日が昇っていることは誰でも知っている事実だからです。

 こうした一般的な「物事の考え方・受け入れ方」に止まらず、「“まること”の丸い状 態(調和)と丸いはたらき(循環)、そして生々発展の活力(広がり)の源である
天照大御神のご神徳は、世の中に満ち渡っていると同時に、私たちの心の中の心(心の神)として鎮まっていて、天照大御神とご一体の教祖宗忠神、そして八百萬神と総称される神々とご先祖様が常に守り導いて下さっている」と信じ切れることが、黒住教信仰の最高の喜びです。好調時も不調時も、元気な時も病気の時も、いつもご神徳・ご神慮の中で生かされていることを大前提にした信仰生活を送ることで、必ずや本復成就・心身平安のおかげをいただけることでしょう。

 昨年暮れの十二月二十四日に、手術安全・本復成就の緊急御祈念をつとめたT氏の事例を紹介します。

 職場で幅十㌢、長さ五㍍の角材五十本以上の下敷きになって脊髄粉砕骨折という大けがを負った宮大工のT氏でしたが、二十五日に無事手術が成功したという報告を受けて、入院先の病院に私が「お見舞いお取り次ぎ(見舞って直接祈り込むこと)」に出向いたのが二十七日の夕方でした。帰省ラッシュが始まっていたにも関わらず、私の車線だけは不思議とスムーズに流れていて、信号のタイミングもよく、道が空いている時と変わらない二十分足らずで市内の病院に到着することができました。“良い予感”を確信しながら病室を訪ねると、大変な災難でしたが、脊髄以外は何の支障もない本人が、教主が突然現われたことに非常に驚き感動しながら「両足の指先まで感覚はありますし、後はしっかりリハビリをすれば完治すると言われました。おかげをいただきました!」と笑顔で話してくれました。命があっただけでも幸いな大事故でしたが、完全復調が期待できる症状に私も感動しながら、「本復したら、乾杯しよう!」と笑顔で応じて祈り込みをつとめて病室を後にしました。

 その日の晩に、ご家族から(教主が見舞ったことへの)お礼の電話があり、「毎年欠かさない初詣でお礼を申し上げたい…」との夫人からのメッセージを有り難く聞いて新年を迎えました。

 そして元日、教会所の歳旦祭を終えて大教殿の祭事の応援に駆け付けてくれたT氏の所属する教会所の所長と話しながら、「貴方(所長)が教主御祈念を依頼するように指導してくれたからこそ、有り難いおかげに?がった。近いうちに奥さんが挨拶に来てくれるらしい…」と話している正にその最中に、教主室の扉が開いて「T氏の奥様がお目に掛かりたいとのことですが…」との案内があり、教主と所長が居合わせていることに驚くT氏夫人から、リハビリに精を出しているご主人の報告を聞かせていただいたことでした。

 完治には日を要する“大修行中”ですが、益々のおかげをいただいて、約束通り“快気祝い”ができると確信しています。災難は無いに越したことはありませんが、“難有り”の時にこそ知るご神徳・ご神慮の“有り難さ”をあらためて実感させていただいた年末年始でした。

 「告諭」とともに発表した「示達」で、私は「さあ参ろう! 人が人よぶ参世紀」と呼び掛けました。いよいよ今年から、神道山ご遷座五十年までの足掛け五年間にわたって「神道山 大まいり」が展開されます。一人でも多くの方々に有り難いご神縁を結んでいただけるように、しっかりと“活かし合って取り次いで”まいりましょう。“学び徒”各位の心意気に期待しています。