まることの世界
(元旦放送のRSK山陽放送ラジオ番組「新春を寿ぐ」※より)
教主 黒住宗道

新年あけましておめでとうございます。この一年の皆様のご多祥・ご多幸を心からお祈り申し上げます。

 平成二十九年秋に黒住教教主に就任した際、私は「『まることの世界』の実現を目指して」と題した「告諭」を発表しました。令和最初の「新春を寿ぐ」では、この「まることの世界」について、お話ししたいと思います。

 「まること」とは、森羅万象すなわち世の中の一切万物は、本来「丸い状態」と「丸いはたらき」の内にあるという意味の、黒住教独自の教えです。「丸い状態」とは、「全ては調和している」ことです。細胞レベルのミクロの世界から天体レベルのマクロの世界まで、最もバランスの良い状態は円形または球体で、例えば水面に小石を落としたときの同心円の輪の広がりや、無重力の宇宙空間で液体がボールのような球状で浮かぶことを、私たちは知っています。一方「丸いはたらき」とは、「全ては循環の内にある」ことです。一対一でも複数・多数間でも、全ては相互に影響を与える因果応報の関係で、一方通行の遣りっ放しや行きっ放しは何一つなく、直接または間接的に何らかの形でぐるっと回って返ってくる循環作用の中にあることを誰もが心得ています。たとえ、調和が崩れたり歪んだり凹んだり偏ったりしても、また循環が途切れたり遮られたり滞ったりしても、元々の「丸い状態」と「丸いはたらき」に本復しようとする大いなる生命力というか活力で世の中は満たされていて、その源こそが太陽エネルギーに顕れる全ての存在を生かそう育もうとする天照大御神のご神徳であると私たちは信じています。

 とりわけ、「人は皆、天照大御神の分心(わけみたま)をいただく神の子」という人間観が、 教祖宗忠神の説き明かした黒住教の教えの神髄です。天照大御神の御心が私たちの心の神として鎮まっていて、その尊き顕れである「誠」を尽くして、汚れ傷つきやすい自らの心を本来の丸く大きく明るく温かく逞しい姿に養い育む“心なおし”が黒住教の教えの実践です。

 いま世界はあらゆる分野で細分化・個別化が進み、個を基本とした価値が科学技術の恩恵によるネットワークで結ばれて成り立っています。便利で快適な生活は多くの人々に物質的な豊かさをもたらしましたが、格差の拡大と常に満たされない不足感の鬱積、そして利己主義の蔓延は顕著になるばかりで、精神的に豊かな社会とはとても言えません。個を基本とした価値が優先されればされるほど、互いの個性を尊ぶ思いやり・慮りが今まで以上に必要であることは明らかです。人の誠に顕れる心の神のはたらきが一層現出されて、全ての人々が和やかに共に栄える「まることの世界」の実現を希う理由がここにあります。

 まことに畏れ多いことですが、先代教主である父からの教主継承を教団内外に発表した後に、奇しくも天皇陛下の御譲位が明らかになって、いよいよ新たな令和の御代を迎えました。令息・令嬢・令夫人の「令」には、「尊重する」という意味が込められています。「和を尊び重んじる」ことを旨とする日本国国民であるべく、「この令和の御代を、皆でともに和らぎ和やかに和やかに送らせていただきたい…」と思ったとき、僭越ながら「まることの世界」の実現という願いと完全に一致することに感動して、一層有り難く「令和」初の新年を迎えさせていただいています。

 お見舞いの言葉が遅くなりましたが、一昨年の西日本豪雨、そして昨年九月の新見市(岡山県)を襲った集中豪雨により、今も苦しみの中に生活しておられる方々が岡山県内にも多くいらっしゃいます。もはや「異常」とは呼べないほど毎年連続して厳しい気象・天候に見舞われ、台風・豪雨・地震による被災は後を絶ちません。昨年だけでも、新見の豪雨災害をはじめ、千葉県南部に爪痕を残した台風十五号、そして広範囲に甚大な被害を及ぼした台風十九号など、過酷な気象災害は相次ぎました。毎朝の日の出を迎え拝む日拝において、被災地・被災者の早期復興と復活、犠牲者のご冥福、そして天地のご安泰と国土の平安を祈らない日はありませんが、あらためて、被災した方々が一日も早く、元の平穏な日常生活を取り戻されますよう、心から祈念いたします。

 西日本豪雨に際して、私たち黒住教では若い人たちがボランティア登録して復興支援に連日駆けつけるとともに、避難者の野菜不足を補うためのピクルス(新鮮野菜の酢漬け)を拵えて真備町内三カ所の避難所と総社市下原地区に配給する活動を、県内諸宗教者の仲間たちにも協力してもらって二カ月間展開しました。夏場の新鮮野菜の提供は衛生上困難と考えられていましたが、一度熱湯に通したカット野菜を、味付けした酢に漬けた自家製ピクルスを小分けして手配りするこの活動は、保健所の許可も得て、特にお年寄りの方々に大変喜んでいただくことができました。個人的には、日を置かず避難所を訪れて、ピクルスを手渡しながら言葉を交わして被災者を励まし元気づけられたことで、多少なりともお役に立てたのではないかと思っています。

 実は、今月十七日に発生二十五年を迎える阪神・淡路大震災に際して、私は黒住教ボランティアの責任者として五十一日間にわたる一日五千食の炊き出し奉仕を陣頭指揮して、連日被災者と向き合った経験があります。二千五百名もの避難者で溢れた神戸市の中学校で、災害発生直後の混乱と緊張の期間を経て、二週間を過ぎた頃からの揉め事の絶えない時期、さらにその後に訪れた絶望感漂う陰鬱な日々、やがて自立に向けた動きが出始める頃まで、腰を据えて被災者に寄り添った経験が、私の災害復興支援活動の原点になっています。いま、私は「公益財団法人 世界宗教者平和会議(WCRP)」という国内最大の諸宗教連合団体の「災害復興支援タスクフォース(実働部会)」の責任者を東日本大震災以来長らく仰せつかっていますが、神戸での経験があればこそ、任された務めを全うできていると思っています。

 世の中、今も、昔も、これからも「困ったときはお互いさま」で、ここまで災害が頻発すると、まさに「明日は我が身」を痛感させられます。被災者支援に駆けつけるボランティアの方々の熱意と行動力に接するたびに、個化・孤独化の進む現代社会ではあるものの、相互扶助の助け合いの精神は失われてはいないことに勇気づけられます。願わくは、「困っていないときもお互いさま」であることを広く皆が認識して、普段からの「持ちつ持たれつ」の心の通い合った社会でありますように、すなわち「まることの世界」の実現を願い祈りながら、宗教者として一層の誠を尽くしてまいりたいと令和初の年頭に決意を新たにしています。

 最後に、黒住教教祖黒住宗忠神の詠んだ和歌を紹介して、話を終えさせていただきます。

  世の中はみな丸事のうちなればともに祈らんもとの心を
  まるき中に丸き心をもつ人はかぎりしられぬ○き中なり
  誠ほど世にありがたきものはなし誠一つで四海兄弟

 あらためて、皆様のこの一年のご多祥・ご多幸を心からお祈り申し上げます。

※RSK山陽放送ラジオは、昭和二十八年(一九五三)に岡山市に開局し、以降毎年、元旦放送恒例の第一声として、五代宗和教主様の「新春を寿ぐ」とのご挨拶を放送してきました。同四十九年(一九七四)からは、六代様が同放送を受け継がれ、一昨年より現教主様に継承されました。