天照らす君の光は千早振る
神代も今もかわらざらまし
教主 黒住宗道

 御代替わりの節目の年も師走を迎え、いよいよ来月には令和として初めての新年を迎えます。去る十月二十二日には、天皇陛下が御即位を国内外に宣明された「即位礼正殿の儀」が厳粛に執り行われ、陛下の御成りとともに直前までの暴風雨が止み、高御座にお立ちになると同時にご陽光が降り注ぎ虹も彩りを添えるという、正に日御子の降臨を全国民は目の当たりにいたしました。台風十九号の被災地を慮って順延されていた「祝賀御列の儀」も十一月十日に晴れやかに欽行され、その前日に開催された「御即位をお祝いする国民祭典」には、まことに光栄なことに私は来賓役員として最前列(国務大臣の次列席)で、天皇皇后両陛下を直に見えて奉祝させていただきました。そして十四日から十五日にかけて「大嘗祭(大嘗宮の儀)」が斎行され、名実ともに令和の天皇陛下の御代が始まりました。その後、来年以降は新嘗祭当日に皇居をお離れになることはあり得ない十一月二十三日の「勤労感謝の日」に伊勢の神宮への御親謁も滞りなく事終えられ、さらに日を置かずして二十七日には神武天皇陵と孝明天皇陵への御親謁がなされました。歴代天皇様の中でも格別の御神縁をいただく孝明天皇陵に、初代神武天皇陵に続いて真っ先に御成りになることを知り、あらためて教祖宗忠神の御神威を畏み奉ったことです。申し上げるまでもなく、「玉鉾の道の御国にあらはれて日月とならぶ宗忠の神」との御製とともに、 宗忠大明神という最高位の御神号の下賜、さらに京都神楽岡・宗忠神社の建立と唯一の勅願所の御沙汰をお授け下さった天皇陛下こそ、孝明天皇でいらっしゃるからです。

 今上陛下の御即位に関する諸行事の報に接しながら、私は遙か先祖の時代から 天照大御神(皇大神宮)を一筋に信奉してきた黒住家の長き歴史に思いを致さずにはいられませんでした。

 詳細は不明ですが、南北朝時代に南朝の武士であった黒住家のご先祖が刀を置いて吉備津彦神社の神職となったようで、備前岡山城近くに勧進された三社明神(三社宮)の社家として出仕した時から、御祭神である天照大御神への奉仕が黒住家代々の主の務めでした。戦国時代に三社明神が今村八幡宮に合祀されてからは、社格と社名の改められた今村宮の禰宜職を“家業”として家督が継承され、私の曽祖父である四代宗子管長(当時の称号)まで「今村宮禰宜」の肩書を確認することができます。

 代々連綿と受け継がれてきた天照大御神(皇大神宮)への奉職と信仰の積み重ねがあったからこそ、例えば、お父上のご長寿を願って水垢離をとって今村宮に日参された幼き頃の教祖宗忠神の御逸話しかり、ご両親を相次いで亡くされた悲嘆により病の身となって生死の関頭に立たれた際の最期の御日拝(第一次御日拝)に命懸けで臨まれたことしかり、完全に病を克服された第二次御日拝から始まる毎朝の御日待ちの御日拝しかり、そして黒住教立教の尊き瞬間である天命直授を通して天照大御神の真実体を説き明かされた御教えの数々しかり、さらにご生涯六度に及んだ伊勢参宮しかりと、先祖伝来の“筋金入り”の天照大御神(皇大神宮)信仰を、教祖宗忠神は身を以て教え導いて下さっていることを、御代替わりの年を振り返りながらあらためて有り難く確信させていただいたことです。

 去る十一月十五日、全国の教会所において「大嘗祭当日奉告祭」が執行されましたが、大教殿の御神前で大祓詞を唱えながら私は感涙を禁じ得ませんでした。伊勢の神宮に向けて特別に建てられた大嘗宮において天皇陛下が天照大御神(皇大神宮)の御神霊を全身全霊で神迎えなさる一世一代の大御祭りである大嘗祭が、古来旧暦の十一月第二卯の日の冬至に行われてきた「太陽の復活・生命のよみがえりの祭儀」であるという有り難さと、この日の未明に執り行われた今上陛下の大嘗祭の掛け替えのなさを深く感じ入りながらお祓いを上げていると、目の前に鎮座まします昭和四十八年(一九七三)に斎行された第六十回式年遷宮で古殿となったご用材で設えられた御神殿、とりわけ内宮御正宮の御屋根を支えた?として用いられた御神木で拵えられている御扉の有り難さと尊さが込み上げて来て、熱い感動に全身が打ち震えたのでした。

 本稿の題名としていただいた御歌は、神道山の奥の広場(ふれあい広場)の山側斜面に建つ壮大な歌碑(長さ八㍍余、幅一㍍二十㌢、厚さ六十㌢、重さ二十二㌧余の北木島[岡山県]産の花崗岩)に刻まれている教祖宗忠神詠(御神詠)です。昭和十二年(一九三七)九月に、前年の五代様教主(当時管長)ご就任とご結婚、そして当年のご長男(現六代様)ご誕生を記念して霊地大元の現在の黒住教武道館(当時大教殿)前に建碑され、平成元年 (一九八九)七月に神道山の現在地に移設されました。三十二歳の若き五代宗和様が原寸大で揮毫されたもので、雄渾な御筆跡から五代様の気迫が今もひしひしと伝わってきます。時代は、戦争の気配が高まりつつあった頃でもありました。新たな御代の始まりの年を振り返りながら、教祖神が「神代も今もかわらざらまし」と詠まれた天照大御神のご神徳の有り難さ、そして、大御神様の御神霊を身に戴された大御心(天皇霊)の鎮まる親様であられる天皇陛下をいただく有り難さを、あらためて深く心に刻ませていただいたことです。和を尊び和のために誠を尽くす「令和」に生きる日本国民として、そして黒住教道づれとして、「まることの世界」実現に向けて、互いの誠を活かし合って、日の御徳をしっかり取り次いでまいりましょう。