守られて幸わう“道の祈り”
教主 黒住宗道

令和元年8月号掲載

 一昨年九月の教主就任に際して示した「告諭」の中で、私は新たな祈りの詞「守られて幸わう“道の祈り”」を発表しました。

 守られて幸わう“道の祈り”
   一切神徳 神徳昭々
   錬誠開運 尽誠道楽
         (三度以上繰り返し)
   教祖様、有り難うございます。
         守り給え幸わえ給え。

 世の中の全ての命は、天地に満ち渡る天照大御神様の御神徳(御恵み)の中で生かされ 育まれて生きています。その御神徳を、一層昭か(明確)にいただけますように!
天照大御神様の御心が心の神(ご分心)として鎮まる“神の子”として、自ら誠を錬って鍛えて心を養って開運のおかげをいただき、誠を尽くして道の楽しみ(生きる喜び)を得られますように!
天地自然の理を説き明かして下さり、今もお守りお導き下さる、天照大御神様とご一体の教祖宗忠の神様! 有り難うございます。
なお一層、お守り下さい! 幸せへとお導き下さい!

 私たちにとって、「祈る=お祓いを上げる」です。お祓い(大祓詞)を上げる(唱える)ことを祈りの柱としてきた本教にあって、今までも、今も、そして今より後も、お祓いを上げて大祓いに祓って御祈念をつとめることを、教主として私は一層重んじてまいりたいと思っています。ただ、「お祓いが上げられないと、祈りにならない」では、“初信”の方への配慮があまりにも不十分です。かつて、名誉教主様からお示しいただいた「ご分心の御開運の祈り」は、自らの心の神たる「ご分心」の御開運、そして「人のために祈る」上で実に尊い祈りの詞ですが、皆と共に唱和するために示された祈りではありません。「神道の教えの大元」と称えられてきた本教の教えに基づいた、覚えやすく、独りでもまた大勢でも唱和しやすい新たな祈りの詞が必要であるとの確信をもって、満を持して発表したのが「守られて幸わう“道の祈り”」です。

 先月号の本稿「道ごころ」に記しましたように、今の時代、信じ切れる尊き対象があることほど大安心はありません。私たちは、昇る朝日を拝しながら、天照大御神様、ご一体の教祖宗忠の神様、そしてご先祖の御霊様の前に額ずいて、心の負担(ストレス)を拭い去って、任せ切って頼り切って、自分の心をリセット・リフレッシュすることができるのです。お祓いを上げる(上げ続ける)清々しさ・心地よさを知らない人たちに、まずは「守られて幸わう“道の祈り”」を通して、祈りによる心の平安を実感していただきたいと念願するものです。

 実は、本稿執筆中の七月九日、「自律神経が癌組織内に入り込み、癌の増殖や転移に強い影響を及ぼすことを発見し、自律神経を操作して癌を抑制する“癌神経医療”という新たな治療分野の可能性を示した」という、岡山大学・国立がん研究センター・東京医科大学・福島県立医科大学・日本医療研究開発機構の連名によるプレスリリース(報道告知:令和元年七月九日午前零時配信)に接しました。

 「ストレスなどによる『こころの状態』や交感神経の緊張が、癌を進展させ得ることが明らかになりました。こころを平穏に保つことが、癌を抑制するのにも大切かもしれません」と、研究の中心を担った神谷厚範岡山大学教授がコメントを寄せておられますが、極めて具体的な「心と病(癌)の関係」が、実にこのタイミングで、しかも岡山の研究者によって科学的に証明されたことに感動を禁じ得ませんでした。

 と申しますのが、本誌別掲のように去る六月三十日、令和の御代になって初めての本部大祭である大祓大祭の説教で、私は前日から家族・お道づれと共にお参りしていた鴨方大教会所(岡山県)の所属教師横山忠之氏のことをご参拝の皆様に紹介したばかりだったからです。

 横山氏が末期肺癌による余命数カ月の告知を受けたのは、“祭り年”の真っ只中の平成二十五年(二〇一三)秋のことでした。この年の八月に執り行われた「第六十二回神宮式年遷宮・お白石持行事」にも参加して、いよいよ明年に近づいてきた「立教二百年大祝祭」を目前にして末期癌の宣告を受けて落胆する本人および家族に、「この時期だからこそ有り難い! 必ずおかげをいただく!」と清水元彦所長に叱咤・激励され、お道づれの同志たちに支えられ、教主様(当時)や私(当時は副教主)の御祈念を身に戴して気力と体力を回復する中に、やがてお道の仲間に誘われて月に数回の神道山での「御神水づくり奉仕」に献身し続けること六年、いよいよ今年五月二十五日に迎えた教会所の「教会所鎮座百四十年記念祝祭」に、目標であった参列祭員としての祭典奉仕が果たせた御礼の本部大祭参拝ができたのでした。今も奇跡の日々を生きる横山氏とご家族の笑顔と感謝の言葉から、「道ごころ」を養うほどに「日の御蔭」をいただける有り難さをあらためて実感しています。

 「この道は病なおしの道にあらず、心なおしの道なり。しかし、心がなおる便宜に病ぐらいのもののなおるは当然なり。これを不思議と思うこそ、かえって迷いなり」と教祖宗忠神が明言して下さった真理が、より具体的な医学的根拠に基づいて立証されつつある今、信じて任せて不安や迷いや疑いを祓い切って、前向きな感謝の心を養うことのできる健全な信仰の徳を、ストレス社会に生きる多くの人々に「活かし合って取り次ぐ」お道づれ(学び徒)であっていただきたく存じます。

 来月には、「守られて幸わう“道の祈り”」を発表して二年になります。一人でも多くの方々に心の平安をもたらす、最も身近で馴染みのある祈りの詞として広く定着することを願っています。

今ここに、天地の大道が明らかになる時が来たれり。天地丸いかしの御神徳がいよいよハッキリと現れるご時節が到来せり。皆々油断はなりませぬぞ! (御教語)

何事も大丈夫と一心を据えよ (御教語)

生き死にも富も貧苦も何もかも心一つの用いようなり (御文九二号)