「《祈り》と《孝養》の誠」という“心の柱”
教主 黒住宗道

令和元年7月号掲載

 「立教二百年大祝祭」を中心とした“祭り年”を終えて、いよいよ“サン世紀”の歩みを本格的に始めた平成二十八年(二〇一六)から、「より良く生きるための“五つの誠”」の各徳目が、二年ごとの教団の修行目標として提示されています。
「《祈りの誠》祈りは日乗り 日拝と日々の祈りにつとめよう」(平成二十八・二十九年)
「《孝養の誠》活かし合って取り次ごう! 暮らしの基本に“敬神崇祖”」(平成三十年・令和元年)

 来年からの新たな修行目標が発表される前に、今まで四年間の「『《祈り》と《孝養》の誠』という“心の柱”」をあらためて心に深く学びしっかり身に修めて、次世代に「活かし合って取り次いで」いただきたく存じます。

教祖宗忠神詠
つき立てる心の柱太ければ千代もうごかぬ家と見えける  (御歌一三八号)

 伝統的な「家」という概念を支えてきた血縁・地縁が薄れ、先祖代々受け継がれてきた精神文化が弱体化して、核家族化や個人化や無縁化という“個化”が進む現代社会ですが、“個化”が顕著になればなるほど必要とされるのが「アイデンティティー」という「自分が自分であることを証明する根拠」です。そして、この「アイデンティティー」のために欠かせないのが、皮肉なことですが、今まさにわが国で薄れ失われつつある血縁・地縁や伝統文化的要素で、長年かけて確立された個人主義を基本とする欧米社会において、昔も今もこれから先も最重要視されるのは個人の信仰や民族や家族やルーツ(出身)や歴史なのです。堂々巡りの議論になってはいけませんが、時代や地域や価値観の違いによって、帰属する集団・社会と個人のどちらが優先されるかという変化は生じても、結局のところ、いつの時代でもどこの場所でも、大切なものは常に大切なのです。

 そこで、平成十二年(二〇〇〇)「教祖神百五十年大祭」を機に発表された「よりよく生きるための“五つの誠”」ですが、《祈りの誠》と《孝養の誠》という“縦軸”と《奉仕の誠》という“横軸”、その両軸の交わる“謝の心(謝意)”である《感謝の誠》と《反省の誠》から成り立っています。「『《祈り》と《孝養》の誠』という“心の柱”」と題した本稿の深意をご理解いただき、教祖宗忠神がご教示下さった“心の柱”をいかに太くしっかり突き立てるかが千代も動かぬ家であり個人であり道であると自覚して、黒住教三世紀の“うったて”の四年間を締め括るこれからの半年間を、心新たに誠を尽くす黒住教“学び徒(教徒・信徒)”であっていただきたいと念願するものです。

 「アイデンティティー」という、よく分からない「自分が自分であることを証明する根拠」とは何かを考え悩むよりも大切なことは、自分自身(個人)が真の安らぎを得て現在 只今の為すべきことに集中して取り組むことのできる心的環境を確立することです。真偽の定かでない情報の溢れる現代社会の中で、個人や家族の安全を確保するための警戒心で神経を使い、より好条件の情報を求めて焦燥感を募らせるといった、明らかに精神上健全とはいえない日々を私たちはいつの間にか送りがちです。若い世代の人たちが頻繁に口にする「ワンチャン」という言葉をご存知でしょうか?「『ワンチャン』といえばプロ野球の王貞治氏のこと…」などと“オジサン世代”の冗談が通じないほど、果てしない情報洪 水の中で若者たちは「ワンチャンス(one chance)」または「ワンモアチャンス(one more chance)」と、「もっと良い情報(結果)に辿り着けるのではないか…」の欲望に駆られ、現状への不満を募らせ、掛け替えのない“今”への感謝に気づかずに神経をすり減らしています。「ワンチャン」という言葉を使わないだけで、大人も同じと言わざるを得ないのが残念なところです。
「まだたらぬまだたらぬとて世に住めばまだたらぬことばかりなりけり(御文九二号)」
「昔思う百層倍の上のこと叶うてみてもまだ不足あり(御歌一八九号)」
このように教祖神が御戒め下さった状況に、かつてないほどに陥っている私たち現代人です。

 ところで、前回の「道ごころ」に記した「ツイッター」で、私は巷間“幽霊寺”と呼ばれる某寺院の住職がテレビで語っておられた話を五月十四日に紹介しました。
「以前、幽霊の絵で知られるお寺の住職が話しておられました。『世の中、この絵のような幽霊ばかり。まだ来ぬ明日に手を伸ばし、過ぎた昨日に後ろ髪を引かれて、掛け替えのない今日の現在只今に立っていない』 説く教えは同じでありながら、ウチには幽霊の絵がないので、謹んで使わせていただいています。」

 三日に一回のペースで百四十文字という字数制限内でメッセージを発信し続ける作業を“頭の体操”として楽しみながら、御教えに基づく内容を慎重に言葉を選んで紡いで“呟いて(Twitter:呟く人)”いますが、大切な“今”を見失いがちな現代人への警鐘のつもりで紹介した“幽霊寺”の話でした。

 実はこの時のツイッター、発信から一カ月で二万五千人(延べ人数ではなく実数)の人に読まれています。二万人を超えたのはわずか一週間後でした。「黒住教主」と名乗って発信している以上、混乱(「炎上」といわれる攻撃の対象になること)を招いた場合には即刻中止するつもりですが、今のところ毎回平均千五百人の人がわざわざ私のツイッターを訪れて読んでくれています。「一層慎重に取り組まなければ…」の思いを新たにしながら、いわゆるネット社会の発信力の凄さを実感しています。

 こうした“文明の利器”も活用しながら、個化の進む現代社会に生きる一人ひとりに「活かし合って取り次ぐ」べき「道の教え(生きる叡智)」を、私たちは教祖宗忠神から教えていただいているのです。私は、その最初が「つき立てる心の柱」であると確信します。今の時代、信じ切れる尊き対象があることほど大安心はありません。私たちは、昇る朝日を拝しながら、天照大御神様、ご一体の教祖宗忠の神様、そしてご先祖の御霊様の前に額ずいて、心の負担(ストレス)を拭い去って、任せ切って頼り切って、自分の心をリ セット・リフレッシュすることができるのです。「『《祈り》と《孝養》の誠』という“心の柱”」を自らにしっかり突き立てること、そしてその大切さを次世代に「活かし合って取り次ぐ」こと。一層の覚悟と決意をもって、ともに心掛けてまいりましょう。

 ところで、去る六月十二日、上皇陛下ご夫妻は孝明天皇御陵と明治天皇御陵を参拝され、譲位に伴う一連の儀式のうち、代替わり後に行うことになっていた全ての儀式を終了されました。新聞報道によりますと、この度も京都大宮御所に宿泊されて翌十三日に帰京されたとのことです。この「大宮御所」は、「十七世紀前期、後水尾天皇の中宮であった東福門院のために造営されたのに始まり、焼失後に再建された現在の御殿は、慶応三年(一八六七)に英照皇太后(孝明天皇女御夙子様)のために造営されたもの。現在は、地方行幸啓の際のご宿泊所として使用されている」とのことです。文久二年(一八六二)の神楽岡・宗忠神社建立の五年後に、夙子様のために孝明天皇様の御命で建てられた「大宮御所」と、その真東に建つ「神楽岡・宗忠神社」が、同じ北緯三五度〇一分二一秒の同一線上に在ることに気づいたものですから、この機会に紹介いたしました。春分・秋分の日に、宗忠神社から昇る朝日を拝まれる尊き御姿に思いを致さざるを得ません。