修行目標の実践
  「敬神」の推進
教主 黒住宗道

平成30年10月号掲載

 本誌先月号で掲載の予定であった「活(い)かし合って取り次ごう! 暮らしの基本に“敬神崇祖”」という本年と明年の修行目標の「敬神」の推進について、お話しさせていただきます。

 今回の豪雨災害に際してもそうですが、心ある人なら誰しも、被害が少ないことを、そして早期復興を、さらには犠牲者のご冥福を「祈り」ます。普段信心深い生活をしていなくても、「祈らずにはいられない」、「祈るほかない」のが、非常事態を知った人の自然で当然の心情です。もちろん、自らが窮地に追い込まれた当事者の場合は、救いを求めて祈らない人はいません。「いざ!」という困った時に“神頼み”しかないことを知らない人はいないのに、日常生活から「祈り」が遠ざけられている現代の世の中です。

 こうした世の中で、一人の宗教者として、どのようなメッセージが発信できるかを考えた時、いま「祈り」と表現した言葉は「願い」と置き換えられることに気付きました。対象が自分であっても他人であっても、たとえ亡くなった方であっても、現在の苦しみからの解放を「願う」という心情自体は実に人間味あふれる尊い心のはたらきですが、厳密には「祈る」こととは異なります。申し上げるまでもなく、「大いなる存在に対して自分の願いがかなうように頼む(お願いする)」という「祈り」の根底には、「祈りを捧(ささ)げる対象」が欠かせません。多くの人々にとって、この「祈りを捧げる対象」が明確に意識されていないから、特別な願いを必要としない普段の日常生活において、「祈り」そのものの大切さも見失われがちなのではないかと思います。

 教義や戒律が確立された一神教であれ、理論的な教えはなくても尊い存在に手を合わすことを指導する多神教であれ、自らの信仰をもつ人にとって「祈り」のない生活はあり得ません。強く願う時に限らず、日々生活すること自体が、生かされていることであり、守られていることであり、与えられ恵まれていることを、信仰している人々は認識しているからです。もともと私たち日本人は、自然の豊かな恵みと、時に激しすぎる強大な力に守られ生かされるとともに鍛えられ苦しめられて、ひたすら謹み深く畏(かしこ)み奉って生き抜いてきました。八百萬神(やおよろずのかみ)信仰という多神教といえば多神教ですが、特別な宗教に帰依(きえ)しているというよりも、日常生活そのものが神々(または神仏)とともにあるような、信仰は文化であり習慣でした。そのような独特な信仰伝統が生活様式の変化とともに大きく変わりつつある今の時代なればこそ、「神」という「祈りを捧げる対象」を畏敬・畏怖の念をもって意識することが大切だと思うのです。

 科学技術の進歩によって時代がどれほど変わろうとも、自然の力に人類が対抗できるものではありません。自然のはたらきの仕組みは科学によって解明できても、人間の力で自然を制御できると考えるべきではありません。そのことは、最先端の研究者・技術者であるほど深く認識しているといわれます。いつの時代にあっても、自然の大いなるはたらきに対して、謹み深く敬い畏(おそ)れる気持ちをもって生きることが大切です。祈りを忘れがちな現代日本人こそ、日常生活に信仰、すなわち「敬神」を取り戻さなければならないと確信します。

 教祖宗忠神は、「身のつらきときには神が恋しくて たすけられては神はそちよれ それでは天がゆるし給わず、ご油断あるべからず」(御歌一七九号)と、他の御(み)歌や御教えにはない厳しさでお戒めになりました。天罰や神の怒りを恐れ慄(おのの)き怯(おび)えながら生きることを力説されるような教祖神ではありませんが、「苦しい時だけの神頼み」ではまかり通らない自然の理(ことわり)をご忠告下さっているのです。結局は、普段から、生かされて生きていることに感謝して、「おかげさま」の心で生活することが、日々の祈りであり「敬神」の基本です。

 その上で、教祖神の説き明かされた本教の教えの素晴らしさは、「お天道様(お日様)が、この地球上のすべてのはたらきを司(つかさど)っている大元であり、日の神の分霊(わけみたま、ご分心)が人の心の本体(心の神)として鎮まっている」という、日本古来の神道の世界観が普遍化された神観と人間観が明示されていることです。

 御神前を祀(まつ)る時に奉斎する本教の御神号は、中央に「天照大御神」、向かって右側に「八百萬神」、左側に「教祖宗忠神」と認(したた)められて大教殿で御分霊(ごぶんれい)が厳かに奉遷された「御神体」です。かつて「天祖天照大御神、地祖八百萬神、教祖宗忠神」と書かれた御神札(ごしんさつ、「御神体(御神号)」ではありません)を拝見して、その分かりやすさに感激したことがありますが、「太陽、とりわけ昇る朝日に顕現する天地・万物の親神である天照大御神」、「この地球上にあって、自然の大いなるはたらきすべての総称である八百萬神」、そして「神道の教えの大元と称(たた)えられてきた天地自然の理を説き明かして下さった、(天照大御神とご一体の)教祖宗忠神」と信仰させていただく「御三神」が、黒住教の「祈りを捧げる対象」です。

 「すべてのご家庭に祈る対象を!」と、10年ほど前から教団を挙げて普及が図られている「御(み)しるし」は、あくまでも「御三神」が記された木札(もくさつ、御神札)です。「『御(み)しるし』は家の電話で例えるなら“子機”。“親機”である実家の御神前で、親御さんがしっかり祈って、そのことをお子さんに伝えて、『御(み)しるし』に向かって毎日手を合わす習慣を指導していただきたい」という趣旨で、今後も一人暮らしの学生さんや独身の青年層には積極的な活用を呼び掛けていただきますが、今や皆が携帯電話を持つようになり、“親機”とか“子機”という例(たと)えさえも、そのうちに通じなくなるほど変化の激しい時代です。家族でお住まいのご家庭で、未(いま)だ正しく御神前が祀られていない御宅には、神棚式で霊舎と一体型で十分ですから(床の間に掛け軸の御神号を祀ることのできる和室のある御宅は、無くなりつつある時代です…)、きちんと御神前を設(しつら)えられることを教主として切望します。「崇祖」の推進をお話しした時に触れたように、次男・三男の核家族の御宅こそ、教主の願いをしっかり聞き届けていただきたいと思います。「うちは、まだ先祖がいないから…」と、代々のご先祖のことは故郷の実家に任せがちな今までの慣例を、個化(細分化・個別化)の著しい今の時代に是非改めていただきたいと、心から願っています。