「修行目標の実践
  「崇祖」の推進
教主 黒住宗道

平成30年8月号掲載

 昨年9月に黒住教教主に就任してから、丸一年が近づいてきました。今月号と来月号の「道ごころ」は、教主として初めてお道づれ各位にその実践推進を呼び掛けさせていただいた「活(い)かし合って取り次ごう! 暮らしの基本に“敬神崇祖”」という本年と明年の修行目標を、「敬神」と「崇祖」のそれぞれの観点からあらためて説き示したいと思います。

 8月といえば「お盆」の月ですので、「崇祖」から話を始めます。まずは、かつて伊勢神宮に参った際に購(あがな)い求めた「神道いろは 神社とまつりの基礎知識」(神社本庁教学研究所監修 神社新報社発行)の一部を紹介します。

 「お盆については、多くの方が仏教の行事と考えているようですが、元来は日本固有の先祖祀(まつ)りがもとになっています。ところが、江戸時代に入り、幕府が檀家制度により、庶民の先祖供養まで仏式でおこなうよう強制したため、お盆も仏教の行事と誤解され、現在に至っているのです。(中略)我が国では、古くから神祀りとともに、ご先祖様の御霊(みたま)をお祀りする祖霊祭祀(さいし)がおこなわれ、神と祖霊の加護により平安な生活を過ごしてきました。(中略)仏教が伝来すると、盂蘭盆会(うらぼんえ)の行事が諸寺院でおこなわれるようになり、当初は僧侶の供養が中心でしたが、その後、我が国の祖霊祭祀と結びついて、ご先祖を祀る『お盆』となりました」

 神道の伝統を重んじる私たちにあっては、春分と秋分の3月と9月を祖霊祭の月として重んじていますが、先祖代々の地から離れて暮らす方が多くなった今の時代に、「お盆休み」に家族が故郷の親もとに集った際にご先祖様に感謝の祈りを捧(ささ)げて墓参することを、「黒住教教徒(家宗が黒住教のお道づれ)も一層積極的に行ってほしい」との願いを込めて、神社本庁の解説文を引用させていただきました。

 現代の家族構成と生活環境の変化に即応しながら、何としても守らなければならない最たる伝統的な価値観が「崇祖」の心です。それは、自分自身のアイデンティティー(自己の存在証明)の拠(よりどころ)であり、細分化・個別化の進む時代に身を置く私たち現代人が、孤独と不安に苛(さいな)まれることなく真に安心して心豊かに生き抜くための英知でもあります。六代様がたびたび御(み)教え下さるように「子供のいない人はいても、親・先祖のいない人はない」のです。

 私は、七五三詣や家族揃(そろ)っての初詣、また式年祭等で子供や孫と一緒に参拝なさった方々に、ここのところ次のような話をしています。

 「子供よりも孫の方が可愛(かわい)い」と、よく聞きます。(「お孫さんの親であるご自身のお子さんも一緒なのだから、頷(うなず)かなくて良いですから…」と予(あらかじ)め忠告していても、ここで“おじいちゃん・おばあちゃん”は、ほとんど間違いなく大きく頷かれます)その理由はさておき、「孫も可愛かったが、曽孫はまた格別」と、何人もの“ひいおじいちゃん・ひいおばあちゃん”から伺いました。「さもありなん…」と思った時に気付いたのですが、「『ひ孫も可愛かったが、ひいひ孫はもっと可愛い』とか『ひいひ孫も可愛かったが、ひいひいひ孫はもっと可愛い』と、ご先祖のみたま様方は思って下さっているのではないか…」そのように考えることもできるのではないでしょうか?

 自分自身が子供の立場では気付かなかったわが子わが孫・曽孫への愛(いと)おしさを、親になって祖父母・曽祖父母になって誰もが実感するのであれば、未(いま)だ曽々祖父母・曽々々祖父母になる前から頭ごなしに否定するよりも、「言われてみれば、そうなのかもしれない…」と思う方が嬉(うれ)しい気持ちになります。「自分は、ご先祖様にとって可愛い可愛いひいひ孫、ひいひいひ孫…」と想像すると、曽孫のいるような高齢の方でも、自然とほのぼのとした有り難い気持ちになるのではないでしょうか? この温かい心から生じる先祖への敬慕と報恩の念が「崇祖」だと思うのです。

 ここで、黒住教教主として明言しておきますが、本教において「先祖の罰(ばち)・祟(たた)り」はあり得ません。「人は皆、天照大御神の分心(わけみたま)をいただく神の子」を教えの神髄と信じて仰ぎ、人皆の心の神の御開運を祈り奉(たてまつ)り、病む人皆の快癒と本復を祈って“元気を喚起”と呼び掛ける私たち黒住教信仰者にとって、形を離れて天に昇った御霊も間違いなく「罪の子でも穢(けが)れの子でもない、尊い神の子」です。「神の子である親が、その子孫である自分に罰を当てたり祟ったりすることはあり得ない!」と、安心して信じ切れるのが黒住教の教えの素晴らしさです。ただ、病み老いて衰えたお年寄りの世話と責任を最終的に家族が請け負うように、ご先祖の御霊の中に「助けてくれ…」という場合がないとは言えませんが、それはいわゆる「罰・祟り」ではありません。そうした時にこそ、教祖宗忠神のお導きをいただいて全ての御霊が本来の守護霊神(まもりのかみ)としておはたらき下さるように、しっかり祈ることが大切です。「崇祖」の心で報恩・感謝の祈りを捧げることは、全てのご先祖の御開運をお祈り申し上げることなのです。

 いずれにしても、「親の親その親々をたずぬれば天照(あまてら)します日の大御神」と赤木忠春高弟の詠まれた親・先祖・天照大御神ご一体の教祖宗忠神という一筋の道の確信こそが、教祖神の教え示された本教の先祖観・神観の基軸です。

 この確信の下に、否応(いやおう)なしに個化(細分化・個別化)の進む現代社会にあって、教徒出身の方は次男・三男も核家族の主(あるじ)として、わが家の先祖信仰をしっかり受け継いで子供や孫に「崇祖」の大切を取り次ぐべく、先祖代々の黒住教信仰を確かなものにしていただきたいと願います。同様に、信徒(家宗は他宗教)の方、さらには他宗に嫁いだお道づれ(教徒・信徒)の家出身のご婦人にも、「黒住教ほど、大らかで普遍的で今の時代に必要とされる信仰はない」という確信をもって、今の時代ならではの「家宗へのこだわりの薄い」ご家庭においては、黒住教への改宗も視野に入れて、わが家での「崇祖」がいかにあるべきかを、家族で真剣に話し合っていただきたいと思います。

 成功した経営者が先祖を大切にしていることを説く経営コンサルタントによる講演会が盛況であったり、同様の題名のビジネス書が相次いで出版されたりしている状況を知ると、古来日本人が重んじてきた「先祖崇拝」の心は、今、あらためて現代人に求められていることを実感します。修行目標「活かし合って取り次ごう! 暮らしの基本に“敬神崇祖”」の実践推進を通して、いよいよ守られて幸わう黒住教お道づれであっていただきたいと、心から念願いたします。