「継承式」での説教
教主 黒住宗道

平成29年11月号掲載

 ご来賓の皆様方、そして全国各地の教会所所長各位、さらに日頃教会所をお支え下さっているお道づれの代表の皆様、本日はようこそご参拝いただきました。まことに有り難うございます。皆様方の目の前で、ただ今、第六代宗晴教主様より、黒住教教主という重き責務を継承し、黒住教第七代教主を拝命いたしました黒住宗道でございます。どうぞ宜しくお願い申し上げます。

 今の心境を問われるならば、「有り難い!」。この一言につきます。

 本日は、遠くオホーツク海沿岸の紋別からもお参り下さっていますが、彼の地はいま台風18号が接近中かもしれません。暴風雨の影響で難儀をしている方も各地にいらっしゃるでしょうし、皆様の中にも大荒れの中をお越しになった方々もあると思いますので無責任なことは申せませんが、文字通りの台風一過の本日、第六代教主様の満80歳の誕生日である平成29年9月18日、素晴らしいお日の出を迎え拝(おろが)んだ御日拝に始まり、第七代教主としての最高のスタートを切らせていただくこととなりました。まさに有ること難い、この上ない感激と歓喜、そして「有り難うございます!」の感謝を込めて、「有り難い!」と申し上げたいのです。「嬉(うれ)しい」よりも「楽しい」よりも「素晴らしい」よりも、「有り難い!」。お道の最高の心が、この「有り難い!」であると確信いたします。

 教祖宗忠神は、「活物(いきもの)を捉(つか)まえよ」とたびたび御(み)教え下さいました。「私の説教から“いきもの”が飛び出しますから、どうぞ逃さないようにつかまえなさい」と…。「生きもの、生きものとおっしゃるが、ネズミ一匹出て来(こ)ん」と、直接に宗忠様に物申した婆さまがいたというのも、うち(黒住教)の自然体な在り様が伺えて嬉しく思うところですが、「ネズミ一匹出て来ん」の一言に、さぞや皆大笑いになったことでありましょう。

 「いきもの」とは、ただ今申し上げた拍手喝采するような歓喜と、打ち震えるような感動・感激、そして、込み上げてくる感謝の心です。「有り難い!」に集約される、この心こそ教祖宗忠神が「活物」と称された天地生々の霊気・活力・エネルギーで、その源が太古の昔から先人たちが日の神様、太陽の神様と尊崇してきた天照大御神です。

 「凡(およ)そ天地の間に万物生生(ばんもつせいせい)する其元(そのもと)は皆天照大御神」と、一切万物の親神としての天照大御神を確信され、その「わけみたま(分霊)」こそ、我が本心と説き示されたのが宗忠神です。「各(おのおの)体中に暖気(あたたまり)の有るは日神(ひのかみ)より受けて具(そな)えたる心なり 心はこごると云(い)う義にて 日神の御陽気が凝結(こりこご)りて心と成るなり」。すなわち、人は罪の子ではない、穢(けが)れの子でもない、みな尊き「みたまもの(霊物)」、尊き大御神様の心を分けいただいている、神の心を自らの心の神としていただいている掛け替えのない神の子ということです。日本古来の信仰である神道の源流・根底は、この世界観にあると確信しています。

 ただ、「自分が神の子、自らの内に神の心、心の神が鎮まっていると言われても…」とピンとこない人の方が多いと思います。「やっぱり神の子か…。そうだと思っていた」と合点がいきすぎる人は、もしかすると「己(おの)が慢心にて人を見下す事、恐るべし恐るべし」の戒めが必要なのかもしれませんが、いずれにしても、太陽の姿も雲霧が立ち込めると見えなくなり、その光や熱も弱まるものです。また、新鮮なればこそ傷(いた)み傷つきやすく、きれいなるがゆえに汚れも目立つものです。我が本体たる心の神をいかに養い、本来の尊いはたらきをしっかりいただけるように調えることが肝心です。だから、神道は罪や穢れを祓い清める清浄さを重んじるのです。“元の気”たる日の神様の「わけみたま」をいただいていると確信できるからこそ、誠という己の善を信じ、自分の可能性を信じ、自らの奥深くに潜在・内在する尊い神の心を信じて、たとえ辛(つら)く苦しい時でも「厚い雲の向こうにお日様は昇っている」、「明けない夜はない」、「おかげは必ずいただける」と、信仰の道を歩めるのです。

 ただ今発布しました「告諭」の言わんとするところは、教祖宗忠神が説き明かして下さった精神を大切にして、一人でも多くの人に「有り難い!」という気持ちになってもらいたいことです。「あれさえなかったら良かったのに…」と愚痴や不足がこぼれるお互いですが、「考えてみれば有り難いこと…」と言えるように、心を祓い清めて、自他ともに持ち味を活(い)かして、お蔭(かげ)様の気持ちを取り次いでいく。それは黒住教の先生だけが取り次ぐのではなく、お道づれ皆で、この道につながるすべての方々が分かち合って取り次ぐ、活かし合って取り次ぐ、そういう心を我が心としていただきたいと願う「告諭」です。

 「告諭」は教主就任の時にだけ発布するものではありませんが、当分はこの「告諭」の精神を中心に道をつとめていただきたく存じます。ただ、第七代教主を拝命してからの、これからの日々の中に6~7年に一度大きな節目がございます。その都度「告諭」を発布するには短期間すぎますが、中期目標としていただくにはちょうど良い間隔なので、前例のないことですが、「告諭」を補完して少し具体的な目標設定をさせていただいたのが「示達」です。この「示達」を読み上げさせていただきまして、私の話といたします。

 示 達(じたつ)
   三世紀は参世紀「さあ参ろう! 人が人よぶ参世紀」
 黒住教教主 黒住 宗道

 全国の黒住教布教師各位と信仰手厚いお道づれの皆様に申し上げます。私は、黒住教第七代教主就任に際して、「まることの世界」の実現を目指して立教三世紀を歩む本教の社会的使命と教徒・信徒の”在るべき姿”と”為(な)すべき行い”を「告諭」をもって教団内外に宣言させていただきました。
   奉祈(いのりたてまつる) 人皆の心の神の御開運(ごかいうん)
      天照(あまて)らす神の御徳(みとく)を取り次ごう
          互いの誠を活(い)かし合って
 この「告諭」の精神の推進を図るために、以下の【心構え】と【道の標(しるべ)】を明らかにして、私たちの歩む道筋を示します。

【心構え】
  私たち黒住教お道づれは、「活かし合って取り次ごう!」を合言葉に、全ての人々”元気”を喚起して、世の中が和(なご)やかに共に栄える「まることの世界」の実現を目指します。とりわけ、病み悩み苦しむ人のために「祈りと奉仕の誠」を尽くし、教祖宗忠神のお守りとお導きを信じて自らの信仰心を養い、御教えの励行に心掛けます。そして、共に「まることの世界」の実現を目指す「まることの人づくり」につとめます。

【道の標】
  2017年  教主就任
         第一期「”活かし合って取り次ぐ”習慣・土台づくり」
  2024年  神道山ご遷座五十年・立教二百十年
         第二期「”活かし合って取り次ぐ”実績推進」
  2030年  教祖神ご降誕二百五十年
         第三期「”人が人よぶ”実績推進」
  2035年  大元宗忠神社ご鎮座百五十年

 まずは、神道山ご遷座五十年の2024年が当面の目標です。「”活かし合って取り次ぐ”習慣・土台づくり」と記しましたが、折に触れて「告諭」の徹底に心掛けましょう。そして、いよいよ半世紀を迎える”お日の出の郷(さと)・神道山”での御日拝の有り難さを一人でも多くの方に知らせて、参拝を呼び掛けましょう。信仰は体験です。遙(はる)か太古の昔から手厚い祈りが捧げられてきた聖なる吉備の中山(なかやま)・神道山を私たちは霊地として賜(たまわ)り、ご遷座以来一日も欠かさず「お日待ち」の御日拝がつとめられ、世界大和(たいわ)と万民和楽(ばんみんわらく)が祈り続けられているのです。この比類なき有り難さを、自信と確信をもって周囲の人々に熱く語り伝えて、人皆の心の神の御開運を勇んで取り次いで参りましょう。

以上