シンポジウム「日本工芸会中国支部の60年と伝統工芸の“これから”」より

平成29年7月号掲載

 公益社団法人「日本工芸会」は、無形文化財の保護育成を図り、また伝統工芸技術の保存や発展に寄与すべく活動している団体で、昭和30年に設立されました。その2年後、昭和32年(1957)に中国支部が発足し、五代宗和教主様が同支部顧問に就任され、現教主様も平成11年から同支部顧問として“奉仕の誠”を捧(ささ)げられています。

 5月24日、中国支部の創立60周年を記念して、岡山天満屋で記念展が同29日まで、岡山県立美術館で特別展示「60年のあゆみ」が6月25日まで、それぞれ開催され、同美術館においては記念シンポジウムも行われました。シンポジウムでは、60周年記念展審査委員長の伊藤嘉章九州国立博物館副館長の基調講演とパネルディスカッションが行われ、教主様も登壇して発言されました。他の発言者は、伊藤副館長と上田宗冏(そうけい)茶道上田宗箇(そうこ)流家元、八村輝夫鳥取民藝美術館理事長で、司会を日本工芸会副理事長で陶芸家の前田昭博氏が務めました。

 今号の「道ごころ」には、前田氏の司会とそれに対する教主様のご発言の要旨を紹介させていただきます。(編集部)

前田 教主様には備前焼作家とのご親交もあり、長く備前焼を見てこられたお立場から備前焼の魅力についてお話を伺いたいのです。また、作家との交流もたくさんお有りだと思います。特に印象深いお話かエピソードのようなものがありましたら、ご披露いただけないでしょうか。

教主 それぞれの風土と言いますか、その土地の持つ力が大きいのが伝統工芸です。備前焼はまさにそれでして、申し上げるまでもなく千年の歴史を持ち、世に稀(まれ)な無釉(むゆう)の焼き締め陶であります。しかも、世に言う「伝統とは絶えざる革新である」ということで、きょうも諸先生方の作品を見て、基本をきっちりとされた上に、それまでの枠を破ろうとするというか、旧来のものから飛び出そうとするような、そこに生まれる摩擦熱のようなものが力となって作品を生み出しているのではないかと思い、感動を覚えました。従来、備前焼は茶色の黒いというイメージが強かったです。もちろんそれを否定するものではありませんが、白い、いわゆる白備前ともまた違った白い焼き物まで生まれている。とても幅広いのが、備前の風土、土の魅力だと思います。それだけに、ごまかしようがないと言うとおかしいですが、作り手の心がそのままに表われるという意味で、作家の方にはご苦労もあろうかと思いますが、魅力のあるところです。特に先程仰(おっ)しゃっていただいた、作家との交流といいますと、やはり金重陶陽先生(初代人間国宝)とのことを申し上げたいです。私の父先代の教主が親しくしていただいたことから、高校生時代から何回も連れて行ってもらいました。ある時、「最近の備前焼はちょっと駄目になった」と。「なぜですか」と聞きましたら、それが、「ビニールができたことだ。土練機(どれんき)ができたことだ。電気轆轤(ろくろ)だ」。この三つのことを言われたのが非常に印象深く残っています。もちろん時代も違うかも知れませんが、「なぜビニールがいけないのですか」と聞きましたら、「土も生きているのだ。ビニールに包んでいたら窒息してしまう」と言われて、お宅のいわゆる土蔵(つちぐら)へ連れて行かれました。そこでは、薄暗い裸電球の下でむしろが敷いてありまして、むしろを上げますと真っ黒の土が、土自体がうごめいているような迫力を持って横たわっていました。それを、「水道の水を掛けたらカルキが入っているから駄目だ。井戸水を掛けて踏んで練り手で練り、また寝かす」。後に思うのですが、まるで酒を醸(かも)すがごとき姿で土を育てられていました。そして仰しゃったのが、「口に入れて味がよくなったら使うのだ」と。土練機はなぜいけないのか、いわば均一化してしまうということなのでしょうか。電気轆轤もそういうことだったかも知れません。後に、ご令息の金重晃介先生に聞いた話に、陶陽先生は「ビニールで包んで土が死んだのも経験しているし、土練機でやったのも、また電気轆轤を使ったのも備前では最初の人だったのではないか」。つまるところ、先生自身の熱い思いが直接に作品に伝わる、そのために邪魔になることは除いてきたというような姿勢で、作品が生まれたのかなと思います。また、陶陽先生はいろんなジャンルの芸術家と交流があって、ご存じかと思いますが、これは川喜田半泥子さんの呼び掛けで「からひね会」という名前で、美濃の荒川豊蔵先生、萩の三輪休雪、後の休和先生、そして半泥子先生と、互いにその本場へ足を運んでそこで成形して作品を作ることもなさっていました。かの魯山人さんも訪ねてきましたし、特にイサム・ノグチが来られたのが切っ掛けで、ある意味では、今の抽象的というか前衛的な作品を最初に備前で作ったのは陶陽先生ではないかと思うほど、まるで桃山茶陶の焼き物とは違う備前も生み出しておられます。そして特に私も宗教家の一人として尊敬しますのは、宗教法人大本の非常に敬虔(けいけん)な信仰の方でして、そうした日々がああいう作品を生んでいるのではないかという思いも今に強く持っています。とにあれ、若い時にああいう方に会わせてくれた父親に年を取るにつれて感謝の思いが募っています。

前田 昨年「美の心に学ぶ」を出版なさって、作家との対談や推薦文を今までに多く書いてきておられますが、ある対談で「教主さんは作品がよく見えるのですね」という質問に対して、「見えるのではなくて感じるのです」と答えておられますが、その辺りのことを伺いたいのですが。

教主 恐縮です。そういうことにつきましては、人様の言葉を借りて紹介したいと思いますが、かの河井寛次郎先生、京都の。あの方が仰しゃった言葉に「手考足思(しゅこうそくし)」、手で考え足で思う。蹴(け)轆轤を使われていたのかなと思うのですが、手考足思、何か考えるというと、頭という感じがありますが、手で考える。思うというと、それこそ心が飛び出してきますが、足で思うと。また、別の方ですが、かの数学者として名高い岡潔先生が昭和天皇の時代、文化勲章を受けて、天皇陛下からの「数学で何が大切か」という御下問に、「情緒です」と答えられているのです。これまた数学といえば、理数系の頭とか、そういうことになるのですが、「情緒です」と。たぶん昭和天皇のことですから、「あ、そう」と言われたのではないかと思うのですが(笑)。これを藤原正彦という同じ数学者が「岡先生の言う情緒というのは美的感覚だ」と。美しいものを美しいと感じる心。こうしてみますと、どうも、今の時代の優れたところであると同時に弱さとも言える、首から上だけを頼りにしているような生き方。もっと全機的と言いますか全人格的に全身でもって作品を生み出してほしいし、またそうした作品に魅力を感じるようでありたいと思っております。

前田 伝統工芸、あるいはこれからの工芸作家に期待することは何でしょうか。

教主 どなたも、先程申し上げましたように、それぞれの専門の基本は非常にしっかりやっておられるのだろうと拝察します。それに加えて、私は魅力ある作家というような方は、書をものにしたり歌を詠んだり句を作ったり、さらにはジャズやプロの音楽家も舌を巻くようなクラシック音楽に通じておられたり。とりわけそういう意味では、岡山では倉敷に大原美術館という大変な宝を持っているわけですから、若い作家の方々はああいうところへ行かれて、それこそそこに身を置いて、先程の八村先生のお話ではないですが、「耳で見て目で聞く」ような時間を持っていただきたいと思います。同時に、岡山にはいろいろなジャンルの伝統工芸の方がいらっしゃるわけですが、それぞれの立場で若い人、幼い人などに伝達のために出張講座をして下さっていることです。これは非常に素晴らしいこと。とりわけ、文化文化と言いますが、日常生活における食事する器などがプラスチックであったり、実際このテーブルもデコラでできていますが、デコラで囲まれた家具では困るのです。そういう意味では、若い備前焼作家の中で次々と食器を作る方が出ているのは、素晴らしいと思います。幼い時から、日常の食事の食器も本物で、本物に触れ、さらにはこのような出張講座でものを作る喜びを与えていただくのは、これぞ本当の教育だと思います。そういう使命また責任も伝統工芸作家の方々にはあるのではないかと思いますので、まさにご奮闘を願います。

(文責:在日新社)