今年の御神幸

平成29年3月号掲載

 昭和25年(1950)、それは67年も以前のことになりますが、霊地大元は特別な状態にあったのが、その時、満12歳だった私の印象です。

 子供ごころにも、大元がいっぱいの人であったことが鮮明に残っています。
 「教祖神百年大祭」でした。

 嘉永3年(1850)2月25日(旧暦)にご昇天になって、ちょうど100年の春に斎行された教祖神の大式年祭でありました。

 岡山の街なかに、戦争の瓦礫(がれき)がそこかしこにまだ残る終戦5年目のこの年は、本教の戦後の新しい出発のときでもあったのです。現在の大教殿の藤原徳行司教がまだ20歳そこそこの頃で、当時の青年教師方は幻燈(スライド写真)による教祖神ご一代記を持って数班に分かれて全国の教会所を巡り、戦後の荒れた人々の人心安寧(あんねい)と、教祖神百年大祭斎行の意義を精力的に説いて廻っていました。

 また教団本部では、この教祖神百年大祭を機に、今日に続く毎年10月の献茶祭と、2月3日の宗忠神社節分祭が始まりました。

 献茶祭は、茶道の千利休の血脈を継ぐ表千家、裏千家、武者小路千家、さらに藪内(やぶのうち)、速水のそれぞれの流派の御家元が交替でおつとめ下さるもので、昨年の献茶祭で67回目となりました。

 一方、節分祭は、岡山の各分野のリーダー方が七福神に扮して、豆撒きならぬ豆餅を撒いて福を呼ぶ御(み)祭りとなりました。今年も2月3日、霊地大元の武道館(旧大教殿)前の広場は、福を求める人々で埋め尽くされました。

 私がはっきり憶えていますことは、この教祖神百年大祭を機に新築された道連(みちづれ)会館(現参集所)の大きな襖4枚に、筆を執って「古梅図」を画かれる金島桂華画伯であり、“山水画”の矢野橋村画伯のお姿です。

 さらに、こうした方々が中心となって呼び掛けられて天満屋百貨店で開催された、日本画の展示即売会は盛況を極めました。

 今から思いますのに、教祖神百年大祭を切っ掛けに、長年跡絶(とだ)えていた宗忠神社御神幸の復活を果たすことこそ、教団内外の皆様の悲願であったのです。そのための献茶祭であり、節分祭、そして資金づくりの日本画展であったと思われます。

 昭和27年4月18日、多くの方々の願いと努力が実って御神幸は復活なったのでした。

 思えば明治18年(1885)、大元・宗忠神社にご鎮座の翌年の明治19年、御神幸は始まりました。江戸時代末期の文久2年(1862)、王城の地京都の、しかも全国の神社を取り仕切る吉田神社から東南の高台の境内地を提供されて、神楽岡(かぐらおか)・宗忠神社はご鎮座になりました。孝明天皇の勅願所(ちょくがんしょ)ともなった、教祖神を宗忠大明神としてまつる宗忠神社です。明治維新前後の激動の時を経て、先輩方は教祖神ご降誕、ご立教の地大元にも宗忠神社をと、懸命に努められました。そして、同時進行で御神幸の御道具づくりなど、その準備をされていたのですから、その厚い信仰心と気宇の壮大さに頭が下がります。あらためて敬意と感謝の念が募ります。

 かつて神職としておつとめになった今村宮の御祭神に、今は同じ神としてまつられた教祖神を、お引き合わせしようとして始められた御神幸でした。その後、岡山の街内の人々の要望に応えて、天下の名園と称(たた)えられる後楽園を御旅所(おたびしょ)としての御神幸になったのは、明治24年でした。その後、戦前、戦中、戦後のしばらく休止せざるをえなかった御神幸が、昭和27年に復活なったのでした。

 第一陣から第五陣まである長い行列の御神幸ですが、その中心は、申し上げるまでもなく教祖神の御分霊を奉斎する御鳳輦(ごほうれん)です。讃岐塗(さぬきぬ)りで今も名高い香川県のお道づれの渾身の作です。この御鳳輦に続く御馬車に、斎主として乗せていただいてきて44年、今年は教主としての最後の御神幸奉仕であることはもとより、次期教主の長男宗道副教主、そして今年1月、御道教師に列(つら)なった孫の八代宗芳と、三人が揃ってこの御馬車に乗せていただいての奉仕となります。感慨ひとしおのものがあります。

 実はこの御馬車こそ、戦後復活なった御神幸の象徴的な存在です。

 今上(きんじょう)陛下の御祖父であらせられます大正天皇がお使いになった英国製の馬車で、岡山市内の熱意あふれる方々が、宮内庁に直接申し出て懇請して下さって下賜されたもので、私たちにはまことにもったいないことでありました。少年の頃に父五代様から教えられたことは、「このことは全く例のないことで、いつに教祖様が孝明天皇様から大明神号を授かって京都に宗忠神社としてまつられ、しかも宗忠神社は孝明天皇様が国や国民の平安を祈られる御社―勅願所―にまでなったがために、特別のおはからいをいただいてできたことであった」ということでした。来年からは、拝観する立場になる私にとりまして、今年の御神幸は格別な御祭りとなります。

 一層、心して祈りに終始した御神幸奉仕のおかげをいただきたいと期しております。