六代教主としての日拝

平成29年1月号掲載

謹賀新年

 43年前の昭和49年10月27日、本教は、教祖神ご立教の時の御日拝に一歩でも近い感動のお日の出を求めて、この神道山に遷り上がってまいりました。それは一に“朝日直射し夕日輝く美し処”と称えられてきた、その名も備前平野の「中野」の地=現在の霊地大元=が、岡山市の都市計画のために大きく変貌を来し、有り難いお日の出を迎えることが難しくなることが予想されたからでありました。

 昭和43年11月3日、初めてその名も昔から神道山と崇められてきた「吉備の中山」の東南の地に上がりました私は、まず胸熱くなることに出合いました。現在の大教殿の北側の谷を登り切った山上の、吉備津彦命の御陵の前に立つ痩身の老人(故藤井猪之吉氏)に案内されて山道を南へ下りました。細いけもの道のような山道が右と左に分かれる所に、小さな石碑がありました。そこには「右花尻、左尾上大元道」と彫られていました。現在この石碑は黒住教学院への入口に立っていますが、“右花尻”と刻された山道は現在の車参道となっているところですし、“左尾上大元”は、大教殿の斎場となっている辺りから、現在日拝どころへの上り口を左に向かう道が、この山道の名残です。

 明治時代から、遠くは出雲(島根県東部)伯耆(鳥取県中西部)備後(広島県東部)の北部そして備中(岡山県西部)から山をいくつも越えて大元に参られる方たちの道しるべであったのです。藤井老人は「冬至の日には大元参りの赤ゲットが続くと言われたものです」と話してくれました。赤ゲットとは小さな赤い毛布で、防寒のために頭に被り、徹夜の参拝のため身を温めるためのものでした。

 それにしましても、明治時代からこのような所に「大元」とあるのは驚きであり感動でした。

 ご存じの方も多かろうと思いますが、二代宗信様を中心に江戸末期の嘉永六年(1853)春、伊勢千人参りが挙行され、伊勢で迎えて下さった外宮の神官で国学者としても名高かった足代弘訓師が、「神道の大元はここ伊勢だが、神道の教えの大元は備前の中野なり」の言葉でもって本教をお称え下さったのでした。一行の感激はひとしおで、その後、教祖神ご降誕、ご立教の地である中野は大元と称されるようになったのです。それから程ない頃に、大元の名はこのような山の中にも刻されていたとは、私は大きな驚きとともに神道山とのご神縁の深さに感じ入ったことでした。

 その年12月23日、前日の冬至大祭奉仕を終えた私は、初めて現在の神道山の日拝どころの場に立って御日拝のおかげをいただきました。すでに何度もここで御日拝を重ねていた青年教師方から、その有り難さは聞いてはいましたが、この日の御日拝は生涯忘れえぬものとなりました。お日の出と同時に瀬戸内海は赤く染まり、その御光の線上に霊地大元の楠の杜が静まり、後をふり返りますと、吉備の中山の主たる吉備津彦命の御陵が鎮まられているのです。このいわば辰巳(東南)から戌亥(北西)の線上に、大教殿が鎮座なるの確信を有り難くいただいたことでした。

 それから数えて50年目の、初日の出を迎えた、今年平成29年の新年です。50年の持つ歳月の重さと有り難さに身がひき締まる思いです。

 神道山のこの日拝どころ、同じ場所で同じお日様をお迎えしての毎日の御日拝ですが、一日たりとも同じお日の出はありません。毎朝が、まさに日に新たなるお日の出をお迎えしての御日拝です。

 お日の出を待ちながらの大祓詞の奉唱。1000年になんなんとする昔から、わが国の先人先輩方が神に祈るときにつとめてきた祈りの詞です。一度のお祓いにも、1000年にもわたる数え切れないほど数多くの先人先輩の祈りが蘇ってくるような、重みのある祈りの詞です。しかも、教祖神ほど数多く、いわゆるこのお祓いを上げた人はいないといわれてきた大祓詞です。下腹からの声で、お祓いの一言ひとことに自らを託してぽーんと東天に放り出すように唱えていくとき、それに反比例するように、東天から下腹にすーっと清らかに入ってくるものを感じ、次第に身が熱くなってきます。

 斎主としての私の祝詞奏上は、大御神様の御徳を称え、感謝し奉り、世界の大和を祈る時です。

 そして御日拝の中心をなす御陽気修行です。

 教祖神ご立教の文化11年(1814)11月11日冬至(旧暦)、お日様を呑み込んで大感激の中に神人一体になるとともに、天照大御神の「み分け霊(ご分心)」が心の神として下腹に鎮まるの確信を得られた、まことに尊くも有り難い「天命直授」の時であります。この時は、いわば御陽気修行の最初の時でもあるわけで、私たちは、教祖神のこの御手振りにならって御日拝につとめ、御陽気修行を重ねるのです。

 東の空が明るさを増す中に、生まれ出るようなお日の出の最初の御光をいただく感動は格別です。生まれ出た赤ちゃんが母親から受ける“初乳”にも似て、身体の芯にとび込んで来ます。この御光をはじめ、一息ひといきいただく御陽気を、下腹に鎮まりますわが本体たるご分心にお供えしている実感は、一層、心を熱くしてくれます。

 教祖神に、そして特に私は父五代宗和様にお目にかかる思いのお日の出を眼前に、その御光をいただく時は、まさに至福の時です。いつまでも御陽気をいただき続けたい思いに駆られながらも、またこの時は最も手応えのある祈り、御祈念の時で、数多くの悩み病み苦しむ方々のお顔、その両の眼を目に浮かべながらその方のご分心の御開運を祈る時でもあります。

 六代教主としての御日拝の斎主、いわゆる先達は今年9月18日の満80歳の誕生日をもって最終とし、以後は長男の七代教主の後について御日拝のおかげをいただき続けたいと願っています。日拝どころへの坂道を、動く参道のお世話にならずに、何歳まで歩いて上がれるかもひとつの楽しみです。