寄稿三題

平成28年11月号掲載

 大原美術館(倉敷市)の名誉理事長大原謙一郎氏(現理事長はご長女のあかね女史)と姉の大原れい子女史、妹の正田泰子女史のお三方は、ご尊父の故大原総一郎氏から幼い頃よりクラシック音楽に親しむ機会を与えられて育たれました。

 大原美術館を中心とする芸術の街倉敷に、音楽も加えたい、しかも日本にやって来る世界の一流の音楽家たちを倉敷に迎えたいとの熱い思いから、昭和58年(1983)にその名も「くらしきコンサート」を創設し、年2~4回開催し続けて今年8月、100回目の公演を果たされました。

 さらにお三方の若い頃の音楽体験を、郷土岡山の若い人々にも与えたいとの思いから、教主様に相談され、その名も「郷土の中高校生にクラシック音楽をプレゼントする会(略称:クラプレの会)」が結成されるところとなりました。

 それは平成5年(1993)、くらしきコンサート創立10年の春でした。岡山県内の数々の企業が協力して下さり、また県内外の心ある方々のご奉賛を得て、くらしきコンサートが開催される度毎に約100名の中高校生が招待されてきました。

 教主様はこのコンサートのカタログに毎回会長としてのご挨拶文を寄せられていますが、今号の「道ごころ」には、去る6月23日の第99回、そして8月21日の第100回のくらしきコンサート開催に際してのご挨拶文を紹介させていただきます。

 また、萩焼の名家三輪家の第十二代三輪休雪氏の展覧会が、10月から来年2月にかけて岡山天満屋をはじめ広島、福山、米子の各天満屋で開催されるに当たり、休雪氏から要請されて推薦文を寄せられましたので、併せてここに掲載いたします。(編集部)

■ くらしきコンサート第99回

 倉敷という街は、わが国はもとより世界に通じる大きな存在ですが、ここ数年ますますこの街に草木もなびくような風が吹いているように思われます。

 昨年は、開放された大原邸を中心に大原美術館内の広場も会場となって、ベルギーの花の芸術家ダニエル・オスト氏の大作品展が開催され、今年は年初から、東京の国立新美術館において“大原美術館来る!!”ともいうべき大原美術館の古今の名品150点が展示されて、大きな反響を呼びました。さらに5月には、G7の教育相会合が倉敷で開かれるなど、他都市がうらやむような豊かな、しかも力強い動きが展開されています。いずれも文化芸術を主体としたものですが、私は最近耳にしたある一言に胸熱くなっています。それは「人類の芸術的蓄積の極致・クラシック音楽」です。

 大原美術館の名画に囲まれた中で、ご先代大原総一郎氏が始められたレコードコンサートは、今日、大原家御三方によってその名も「くらしきコンサート」と銘打たれて、世界の超一流の音楽家を招いてのコンサートとなり、今回99回目を迎えられます。このくらしきコンサートを郷土の若い人々にも、との御三方のお思いに数多くの方々が賛同し、お力添え下さるおかげで、「クラプレの会」として招かせていただいた中高校生は今までで9714名の多きを数えます。

 あらためて「クラプレの会」をお支え下さる大原家御三方はもとより、ご後援下さる皆様に心からの敬意と感謝の心を捧げることです。

■ くらしきコンサート第100回

 数学者として、また思索の人としても大きな存在であった人に、岡潔(1901~1978)という方がありました。この方が文化勲章を受章したとき、昭和天皇から「数学では何が大切か」とのお尋ねに「情緒です」と答えられています。情緒、すなわち感動、感謝の心です。この上に、知性の世界があってはじめて真の知性になるといわれるのです。

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 第100回「くらしきコンサート」ご開催、まことにおめでとうございます。大原家御三方が、まさに美しいものに感動する心を幼い頃から養われてきたご体験から、「郷土の中高校生にクラシック音楽をプレゼントする会」(略称:クラプレの会)の創立をお認め下さり、爾来、若い人たちに感動の時を与える機会を頂戴してまいりました。数多くの心ある方々のご理解とご支援をいただいて、今日まで9894名の中高校生が胸に迫る時を重ねてきました。

 彼ら彼女らの情緒が、どれほど豊かに大きく育てられたことかと思うだに心なごみます。

 しかも、この度の第100回記念は、300人近い若い芽が舞台に立っての一大コンサートです。この日を迎えるための歳月、そして当日の感動、更に客席に集う招待された中高校生たち、真の教育ここにありを目の当たりにできるのを楽しみにしていることです。

■ 十二代に亘る血 三輪休雪展に寄せて

 かつて白萩の「ハイヒール」でもって斯界に劇的なデビューを果たして以来50年、休雪先生の作陶人生は、稀に見る自己革新の歳月ではなかったかと思われます。

 私がそのお作品に初めて対面したのは、20年前の平成8年(1996)に岡山天満屋で開催された大展覧会でした。会場を圧する黄金の巨大な作品群の中で、心を鷲掴みにされるような活力に充ちた作品の前で立ちすくみました。「卑弥呼」でした。未だ至りませんが、宗教家として何をしているのか、と活を入れられたような思いに駆られました。

 それまで写真でしかお目にかかっていなかったご本人に、その時初めてお会いし、柔らかな物腰と静かなお話しぶりに感服したことでした。腰をしっかりと据えた、しかし遠くに視点を置いたまなざしは、先生の日常を、さらに作陶姿勢を物語っていて心に深く刻まれました。やきものを通じて、人としての根本的なところを尋ね問い続けている方だとの思いを強くしたものです。先生は、そうした折、「とかくやきものというものは“わび”とか“さび”とか、何か作品の中に引き込まれていくというとらえ方をされてきた。しかし、逆にやきものから語りかけ、もっと言えば、攻撃をしかけていくというところがあってもよいのではないか」と語られました。黄金に象徴される栄華、そしてその作品に走る亀裂と黒い色。それは、栄華と崩壊、生と死という相反する両極がまるでスパークするように生まれる「いのち」を大切にされてきたのだと感じ入りました。事実、「のがれようのない死。死があればこそ、生が、愛が際立って来る」とつぶやかれた一言も忘れがたく、今に蘇ってきます。

 この度の展覧会にご出品の作品達を拝見して浮かんできたのは、ある歌人の言ったひとことです。

 「短歌をつくるものは、作歌によって解脱を得るのだ」。これは、ひたすら歌詠みに徹している内に、ぽかっと空いたような無心無我のときがやって来る。その中に生まれたものが真に生きた歌になっている、と言われているのだと解しました。

 休雪先生の今日に至るご自身との激しいばかりの闘いは、先人の詠んだ短歌、
 己れに克ちて神と一体
 かくなれば今よりのちは天地の中は我が身のうちとなるらん
 さながらに、心静かな大いなる祈りの世界に身を置かれる中に生まれた本展の作品達、とお見受けしています。

 純真無垢な幼な子の合掌、美しくも清楚な女性の祈りの手、そこに明日の光を約束するかのごとき花。穏なる世を祈り、子々孫々への生命の賛歌です。白萩の「ハイヒール」は50年の激動の時を経て、ここに到達したのです。まことに感慨ひとしおのものがあります。

 多くの方々がこの展覧会場に立たれて、この十二代に亘る三輪家の血、そしてそこに生まれる当代の自己革新の美を、心ゆくまで味わっていただきたく願います。