“正反合”の世界

平成28年8月号掲載

 かねてじっ懇にしていただいています現代美術の大家・高橋秀、桜夫妻が、多額の私財を投じて始められた秀桜基金による海外留学制度が、予定通り10年間、10回をもってこの春に終了いたしました。

 全国から毎年200名近くの若い美術家たちが応募し、最終的にしぼられた10名が神道山に集い、名だたる美術評論家等の専門家も加わった選考委員会で3名が選ばれ、多くの留学費を戴いて各々が希望の国々へ出掛けて約1年間、特異な体験を積んできています。

 「それぞれの国に出掛けたら、自分の制作のことは離れて“遊んで来い”。遊ぶということは、とらわれのない本当の心の自由を得ることだ。そういう中で日本人として日本を感じてきてほしい」。いつも高橋秀氏が、贈呈式の度に彼ら彼女たちに与えられたはなむけの言葉です。

 これは、若くして安井賞という文学でいえば芥川賞に当たる大きな賞を受けながら、その賞の余慶に与ることを快しとせず、敢然と日本を離れてイタリアに渡り、以来40余年、彼の地で画業に勤しんできた氏にして言える言葉でした。外国から見続けてきた、わが国日本の現状を憂えるいわば憂国の思いがなさしめたこの留学基金でした。世に言う“孝行したい時には親はなし”また“病んで後初めて健康の価値を知る”で、イタリアという日本を遠く離れたところで日本を強く感じたご自身の体験が元となっていました。しかも氏は、イタリアに行って1年間、絵筆を持たない生活に終始されたのです。絵描きに絵を描くなとは、ある意味で死ねと言われたに等しい状況に自らを追い込んだのでした。

 その1年後に生まれた作品は、絞り込んだばねが弾けるように、明るくもたくましい生命力に充ちたものになりました。日本では、どちらかといえば暗い感じの作風が、底ぬけの明るいものに激変しました。

 このことこそ「まること」で、極端な所に自らを立たせることによって逆にぐるっと廻って対極ともいえる所が見えて来る、もって全体を掴むことができるという天地自然の道理を具現されたのです。それだけ、広い世界を自らのものにしたということです。教祖神の説かれる
 海あれば山もありつる世の中にせまき心をもつな人々(御歌八四号)
のところです。

 この御神詠に関して私はかねて申し上げていることですが、霊地神道山が深山幽谷の趣を持っていると言われるのは、大教殿を中心に西側や北側に急峻な崖があって深い谷が控えているからだと思っています。最も高い所の「日拝どころ」でも海抜120mほどですから、山というより丘陵地に近い神道山です。谷深ければ山高しで、しかも古代吉備王国以来、神南備山と崇められてきた“吉備の中山”の東南に位置する神道山です。

 ところで、本誌の6月号で紹介いたしましたように、私は、去る3月7日に除幕式をつとめた、天台宗の故葉上照澄先生の顕彰碑の碑文を書かせていただきました。ここに記していますように、先生は先の大戦の終戦直後に比叡山に登り、千日回峰という極めて厳しい修行に入られました。特にその最終段階では、9日間、不眠不休不臥、断食断水して祈り続ける行も完遂されましたが、それはご自分の死臭が迫ってくるほど苛酷なものでした。この9日間の修行中、午前2時に標高800mの修行堂から出て、仏様に供える水を汲みに行くのですが、“その時の空気のおいしかったこと。仙人がかすみを食って生きるとはこのことかと思った”と述懐されていました。

 死の渕に自らを追い込むことによって、反対に生の有り難さ、いのちの尊さを強烈に体得されるところとなったのでした。まさにいのちの“正反合”の実体験でした。

 それは、本教の立教につながる教祖神のお若き頃の大病においても言えることです。

 人一倍ご両親思いの強い方であっただけに、御二方の流行病による突然のしかも相次ぐご昇天は、宗忠様をして悲しみのどん底に突き落としてしまいました。ついには労咳(肺結核)に倒れられ、1年余りの静養もむなしく、いよいよ生死の渕に立つところまで追い込まれました。静かに死を覚悟された宗忠様でしたが、せめて最後にお日様にお別れのご拝をしようと、家人に頼んでお日の出の拝むことのできる縁側に抱いて出していただかれました。この御日拝こそ孝心のなせるところです。幼い頃よりご両親と共に毎朝手を合わせてきた御日拝が、御自らが「おかげをいただく」時となりました。このどん底の所から「うす紙をへぐように」に日一日と本復に向かわれたのです。その年、文化11年(1814)11月11日(旧暦)の冬至の日、大感激の中にお日の出のお日様とご一体になり、神人一体の場にお立ちになりました。

 それからの教祖宗忠神としての30有6年間、数ある宗教の教祖、開祖の中でも「有り難い」の一言をここまで唱え、記し、体現された方はないといわれるほど、陽気で感謝に満ちた歳月を重ねられたのです。

 「難有り、有り難し」「難を受け損にすな」をはじめ、陰極まって陽に転ずる冬至の有り難さを説かれるなど、いわばマイナスの生むプラスこそ本当のプラスであることを身をもって教えて下さっています。

 本教の明治時代の先輩方は、道の友が病に倒れると“おめでとう”と言って拍手を打って激励したと伝えられています。その病が重ければ重いほど、ご神徳の有り難さ、生かされて生きている真実の奥深いところを体取することができて、その感動の中に本復のおかげを受けることができるということを、お互いに確信していたからです。

 今日の私たちが学ぶべきところを、高橋秀氏夫妻の人生に見、葉上照澄先生に教えられ、あらためて教祖神はもとより御道の先輩方のすごさに頭を垂れることです。