告諭

平成27年2月号掲載

 平成27年1月11日、神道山・大教殿において「道づれ新春開運祈願祭(特志信徒開運祈願祭)」が盛大に斎行されました。そして、祭典終了後の御親教において、教主様が新しい「ご告諭」を発布されました。
 ご告諭は、教団の歩みの節目において、時の教主様よりお示しいただく、私たちお道づれの信仰生活の指針となるものです。現教主様からは、昭和48年10月14日の教主就任式に始まり、昭和59年秋の神道山ご遷座十年記念大祝祭、教祖神百五十年大祭に向かう平成5年10月24日と終えての平成13年1月7日に続いての発布です。今号の道ごころは、この新しいご告諭を紹介いたします。立教三世紀の第一歩を踏み出した今こそ、繰り返し拝読し、心してつとめてまいりましょう。
(編集部)

 平成26年に立教二百年を迎え、秋に10回に亘る記念の大祝祭を有り難く斎行し終えた私たちは、新たな「黒住教三世紀」に入りました。
 いよいよ、宗教教団本来の「祈りと奉仕」の黒住教でありたいとの思いが募(つの)ります。祈りという縦軸(たてじく)と奉仕という横軸が両々相俟(あい ま)って、宗教教団は健全な歩みを重ねることができると信ずるからです。
 毎朝の御日拝の時、東天に向かってお祓いを上げ、ご陽気をしっかりといただく御陽気修行につとめる祈りによって、教祖宗忠神はもとより天地につながり、この心を大元に誠を尽くす日々によって、人々はもとよりあらゆる物事、あらゆるものとの調和をめざすことこそ御道信仰の正道(せいどう)です。

 私は、昭和49年10月、霊地大元から神道山への大教殿ご遷座に際して、五カ条の「まることの生活信条」を発表し、平成12年の教祖神百五十年大祭を終えて立教二百年に向かう時を機に「五つの誠」の実践を呼びかけさせていただきました。いずれも、教祖神がご一生かけて貫かれたところを、今日的(こんにちてき)な言葉でまとめたものでした。中でも、まることの生活信条の第一条「お日の出を拝もう」と、第五条の「人のために祈ろう」は、教祖神の、ご立教のご日拝に始まる御道人生を端的(たん てき)に物語っています。
 まさに、お日の出を拝みご陽気をいただいて熱くなったお心で人のために祈り、誠を尽くされたのが教祖神のご一生なのです。

 私たちお道づれは、教祖神の御手振りにならう上でもこの精神を大切にし実践してまいりたく存じます。それは、つまるところ、教祖神ご立教の天命直授で明らかになった人の心の奥深くに鎮まります大御神のご分心、すなわち心の神をお養い申し上げることになるのです。
 そのためにも、お祓いを上げること、大祓詞を下腹からの声で唱える祈りの時を大切にするお道づれであっていただきたく心から願います。教会所こそこのお祓いを上げる所です。
 教会所の先生と、あるいはお一人で、さらにはお道づれ同士が教会所に参り、共にお祓いを上げることを喜び楽しみとする方の一人でも多からんことを期待します。

 皆様方の教会所は、神道山大教殿の分殿(ぶんでん)です。御道の先輩方が精魂込めて築いて下さった神道山大教殿は、平成36年(2024)に新築50年を迎えます。それは、教祖神ご降誕ご立教の地・霊地大元からご遷座なっての50年です。
 私は、毎朝のご日拝を重ねることを元に、一層、大教殿御神前にお祓いを上げて祈りを込め、祖霊殿に鎮まります先人先輩方をはじめ諸々の霊(みたま)様方に真心の祈りを捧げてまいる所存です。大教殿が、ますます有り難い祈りの殿堂たるべく渾身(こんしん)の誠を尽くす覚悟です。

 この祈りを縦軸に、日常生活で奉仕の誠を尽くすのが御道人生です。
 御七カ条の止(とど)めの歌
 立ち向こう人の心は鏡なり己が姿を移してやみん
こそ、人と人との関わりの中に生きるお互いが、自らの言動を省(かえり)み、出会う人に心を移して思いやり、心くばりすることの大事を教えられています。

 私たち人間は、その本性において人に喜んでもらうことを喜びとするものです。これは、人間の本体が、すべてを生かしていこう育てていこうとおはたらき下さる天照大御神のご分心である証(あかし)です。与えられる喜びより、与える喜びの方が深く大きいことは、お互い日常生活で体験済(ず)みのことです。実に「神ごころは親心」と御教えのところです。「人のために祈ろう」と呼びかけさせていただいてきたゆえんです。
 この精神のもとに、昭和49年10月の神道山時代の幕開けとともに始められたのが、「ありがとうございます運動」です。思えば昭和42年4月、先代教主五代様のお呼びかけで開始された「一口一日十円献金」の「霊地(ご造営)運動」は、大きな渦となって拡大し、ついに神道山ご遷座への原動力となりました。
 この信仰運動は「ありがとうございます運動(略称 あ運動)」という名のもとに、今度は教団の将来を担う人材育成と教団の社会活動の源泉として展開されてきました。
 日々神恩感謝の祈りが込められたこの浄財あればこそ、本教は本部を中心として様々な社会活動を重ねることができ、世の人々からの信頼は弥増し、教団そのものが、生きた働きをさせていただけるという喜びと大きな誇りを賜ってまいりました。
 実にこのような祈りと奉仕によって、教団も、わが本体たるご分心も、真に養われていくのです。「人となるの道」はここにあり、この道が真っ直ぐに伸びるところに「神となるの道」、すなわち「生き通し」の、死を超えた道が開けてまいります。

 ここにお道づれの皆様に、お心に刻(きざ)んでいただきたいところを改めて申し上げます。
 黒住教は「人となるの道すなわち神となるの道」です。
 「人となるの道」は、人様に喜んでもらうところにあり、「人は人に尽くして人となる」のです。そして「人間にとって自分自身をつくり上げるほど大きな仕事はない」のです。
 立教三世紀に歩(ほ)を進めるお互い、ますます教祖神の御心を心とする教団、お道づれであるべくつとめてまいりましょう。