黒住教の宗際活動(宗教間対話・協力活動)について紹介します。黒住教は、神道のみにとらわれず、また、国内外をも分け隔てなく、「宗教」を軸とした活動しています。国際的な会議やネットワークへも積極的に参加し、宗派・教団を超えた相互理解と信頼の涵養につとめています。

岡山はもともと宗教間同士の交流がある土地で、昭和10年代から先代の5代教主・黒住宗和は他教団の幹部の方たちとの親交を深めていました。特に戦後は5代教主を中心とした宗教間交流が盛んで、今日の世界連邦日本宗教委員会岡山宗教者の会は、全国的にみてもユニークな活動を行っています。
 岡山には平成8年(1996年)以来、副教主・黒住宗道が事務局長をつとめる12教団からなる青年宗教者の共同、共働グループRNN(人道援助宗教NGOネットワーク)があり、大災害のときなどに緊急援助活動を国際的にも実施しています。また、平成13年(2001年)の9・11テロ直後の10月5日には、日本ムスリム協会会長(当時)の樋口美作氏を招き、RNN主催「イスラム教についてのシンポジウム」を黒住教武道館にて開催しました。

RNNは、平成17年(2005年)6月29日の岡山大空襲60年の日、「ヒーリングコンサート」の名のもとに平和を願い祈る音楽会を岡山カトリック教会で開催しました。ここでは、天台宗、真言宗の声明、イスラム教のコーラン朗誦、キリスト教プロテスタントの讃美歌、カトリックの聖歌、そして金光教と本教の吉備楽が披露されました。さらに、事前に公募して最優秀に選ばれていた詩「PEACE」に曲づけされた歌を、参加者全員で合唱して平和を祈りました。

昭和50年(1975年)、今日WCRPと呼ばれる世界宗教者平和会議の創設に尽力した立正佼成会の庭野日敬会長(当時)が神道山に参拝し、6代教主にWCRPへの参加を呼びかけました。翌年の昭和51年(1976年)11月、シンガポールにおいて開催された第1回のACRP(アジア宗教者平和会議)に出席した6代教主は、開会式の壇上に立ち開会の祈りを捧げました。これが機縁となり、昭和54年(1979年)8月、アメリカ・プリンストン大学にて開催された第3回世界宗教者平和会議に出席した6代教主は、その開会の式典が催されたニューヨークのセントパトリック大聖堂において「大調和への祈り」と題した講演を行い、開会の祈りをつとめました。また、WCRPの青年部会結成30年の記念大会が、平成15年(2003年)6月に開かれ、副教主・黒住宗道が招かれ、その記念講演をつとめました。

昭和56年(1981年)2月23日、ローマ法王ヨハネ・パウロⅡ世が来日しました。ローマ法王の訪日は初めてのことでありました。法王はまず皇居において天皇陛下に謁見し、翌日、ローマ法王庁大使館(東京都)に日本の各宗教の代表20数名を招いて会談しました。6代教主・黒住宗晴も神道の一人として招かれて出席しましたが、それぞれ何かおみやげをというなかで、教主は、法王が青年期に著わした「THE ACTIVE PERSON(行為的人格)」を持参し、そのなかの一節「人間は自己をおしみなく他者に与え尽くすことによって、もっとも完全に自己となり、人格としての在り方を実現する」の一条に感服したことを告げるとともに、法王の皇居訪問に敬意と謝意を表しました。

平成2年(1990年)、「グローバルフォーラム」の執行委員を中心に、シリアのイスラム教最高指導者アフマド・クフタロ師をはじめ各国の宗教者、そして政治家、ジャーナリストたちが来日して、神道山で「神道ワークショップ(神道国際研究会)」を開催しました。講師は後に國學院大学学長になった上田賢治氏、同阿部美哉氏、皇學館大学理事長・櫻井勝之進氏、同学長谷省吾氏、そして仏教界からは薬師寺管主・高田好胤師が参加しました。
 また、海外における神道や黒住教の研究者で後にアメリカ・ハーバード大学ライシャワー日本研究所所長となったヘレン・ハーデカ女史、ライト大学宗教学教授ウィリス・ステイツ氏、タイ・カセサート大学教授ペンシー・カンチャノマイ女史が参加して講演しました。

平成7年(1995年)3月、チベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ14世法王を、本教が責任教団となって招聘しました。これは、複雑な国際関係から11年間も日本への入国ができていなかったため、法王招致委員会の要請を受けてのものでした。法王一行は来日後、広島市に直行し、終戦と被爆から50年が経過した原爆記念碑前での法要をつとめた後、岡山市に到着しました。神道山大教殿における講演や、青年たちとの交流などが続き、さらに林原生物化学研究所や障害者福祉施設などを見学された4泊5日間の岡山訪問でした。

平成12年、西暦2000年を迎えたこの年の8月、コフィ・アナン国連事務総長の呼びかけにより「ミレニアム世界平和サミット(国連宗教サミット)」が開かれ、ニューヨークの国連本部総会議場を各国の宗教者が埋めました。副教主・黒住宗道が日本使節団の幹事長役に指名され、伊勢神宮・久邇邦昭大宮司、天台座主・渡邊惠進師をはじめ立正佼成会・庭野日鑛会長、新日本宗教連合会・深田充啓会長、大本・広瀬静水総長ら27名が参加しました。4日間のこの会議は、本教教主の閉会の挨拶と祈りでもって閉じました。
 このサミットでは本教の提案で、「世界の火薬庫」と呼ばれるバルカン半島の各地から11名の様々な宗教代表を招いて会議が持たれ、その費用の大半は岡山財界有志からの浄財によるものでありました。

9 ・11同時多発テロ発生の翌日、副教主・黒住宗道は国連宗教サミットをはじめ、それまで知遇を得てきた各国の宗教者に電子メールでもって、これが、イスラム対西洋のいわゆる文明の衝突になることのないように宗教者として共働してつとめようと訴えました。そして前記のごとく、10月5日RNN主催のイスラムについてのシンポジウム開催と続きました。翌平成14年(2002年)1月、イタリア・アッシジにおいて、ローマ法王ヨハネ・パウロⅡ世の呼びかけによる平和への祈りの集会が大々的に開かれ、副教主が参加しました。

明治26年(1893年)、アメリカ・シカゴで開かれた万国博覧会において、「万国宗教会議」という名のもとに、世界で初めて各国の宗教者が集まり、日本からも数名の宗教者が出席しました。その後、長らくこの会議は途絶えていましたが、100年後の平成5年(1993年)に同じくアメリカ・シカゴにて再度開かれることとなりました。この会議に出席した副教主・黒住宗道は、続く平成11年(1999年)の南アフリカ・ケープタウンにおける復活第2回会議に出席し、平成16年(2004年)7月スペイン・バルセロナで開かれた復活第3回万国宗教会議にも出席しました。
 このバルセロナ会議に際して、副教主は開会式の5,000人もの参加者を前に、州の大統領や地元代表の挨拶に続いて宗教者としてただ一人「平和への祈り」を捧げました。なお、開期中は「『誠』の教え─神道による平和への道─ 」と題して一時間半の講演も行いました。また、副教主は、平成21年(2009年)12月オーストラリア・メルボルンでの復活4回目の会議にも招かれて出席し、講演をつとめました。

かつてイタリア・アッシジでローマ法王ヨハネ・パウロⅡ世が主催して開催した「世界平和の祈り」を受けて、当時の天台座主山田恵諦師は「比叡山宗教サミット」を創設し、その第1回の集いが昭和63年(1988年)8月に京都で開催されました。教主・黒住宗晴は神道教団の代表として講演し、同サミット10年を記念した平成9年(1997年)の集いでは、副教主・黒住宗道が講演を行いました。なお、毎年8月初めには比叡山にて祈りの集いが持たれており、副教主・黒住宗道が出席しており、平成12年(2000年)のこの集いでは、国連宗教サミットに出席する日本使節団の結団式も執り行われました。

オーストラリア・シドニー市の西350キロほどのカウラという町に、かつて日本人捕虜収容所があり、現在も日本軍人の墓が丁重に祀られています。収容されていた1,000名を超える日本軍人は、ひそかに議論を重ねた結果、衆議一決して終戦一年前の昭和19年(1944年)8月5日未明に蜂起して突撃し、その日だけ230余名が戦死しました。オーストラリア側は戦死者を手厚く埋葬しました。

昭和52年(1977年)、前述の日豪親善少年少女柔道チームの交流(リンクつける)がきっかけとなり、日本からの柔道チームが渡豪するたびに本教教師が慰霊祭をつとめ、選手たちが神道山の“御神水”を一基ずつに注いでの参拝を重ねてきました。平成16年(2004年)8月5日、“カウラの突撃”から60年目のこの日、カウラ市当局の要請を受けた本教が各宗教教団に呼びかけ、前記RNNの天台宗、金光教そして浄土宗、浄土真宗、真言宗の宗教者と当地のキリスト教聖公会の聖職者、副教主・黒住宗道がそれぞれの祈りをもって慰霊祭をつとめました。平成26年(2014年)8月5日、70年目の慰霊祭が宗忠神社宮司・黒住忠親斎主により行われました。